レビュー一覧
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山本さん(男性/30代) 「プリズナーズ」 5月10日 渋谷シネパレスにて |
この映画はすごい!衝撃!面白いからホント観て!といった具合にレビューしたいところですが、どうもそういったノリが憚られてしまいます。普段であれば「出演者陣の演技力はさすがだな」とか「あのシーンのあそこ良かったなあ」と映画のパーツを振り返るのですが、今回に関しては人が秘める闇という複雑な余韻を引きずることになりました。 少女誘拐事件がきっかけで狂い出す日常と人物を描いた物語。娘を誘拐された父親ケラー(ヒュー・ジャックマン)の変貌が作品の主軸を担っています。ケラーの常軌を逸した行動にどこまで共感できるのかを試されているようでもありました。あまりの過激さにケラーから距離を置いてしまったのですが、そうしたことで結果的に気づいたのがケラー以外の正義の所在です。被害者家族や刑事、容疑者それぞれが起こす行動を各々の正義とすれば、作品は正義で満たされているはずなのに全編を通して漂っているのは正義というには薄暗い不穏な空気でした。ケラーの正義がその不穏の要因である闇の光として、いかにケラーの行動がモラルに反していようとそれだけでは作品を覆うあの暗雲は大きすぎると感じていました。テレビで報道される誘拐事件に心を痛め、被害者のために祈る。警察の進展しない捜査に不満を感じつつもショックで動けず無事でいてと祈る。事件を解決するのは誰なのか。祈るだけで少女は帰ってくるのだろうか。何もわからないまま時間だけがすぎていく。結局解決に向かう糸口の発見を何もせずケラーに委ねている時点でケラー以外の人物もケラーと行動は違っても結果同じようにそうした闇の光を正義に紛れて放っていることが不穏な空気の正体だと感じました。 また作中には森や蛇、迷路、地下などの信仰心のある方にとって悪魔を連想させるような信仰に関する描写も多く見受けられるのですが、ケラーをはじめとした登場人物それぞれの信仰をどのように受け取るのかでも作品への理解は変わってくるのではと思います。とは言いつつ僕自身は信仰心が強いわけではないのであくまで浅い解釈です。 邦題とオリジナルのタイトルが同じというところにはタイトルに込められたテーマに付け入る隙がないことを匂わせている気がしています。映画を観ることで誘拐事件のもたらす問題を知りどうするか考えてみようと思っていましたが、思いもよらないカウンターをくらってしまった印象です。 |
Shioriさん(女性/20代) 「X-MEN:フューチャー&パスト」 6月10日 109シネマズ川崎会にて |
今作で「ウルヴァリン」を含めて7作目となる「X-MEN」シリーズ最新作。作品によってキャストも監督も違い世界観も多少異なる描き方をされた作品達をどうまとめ上げるのか、この豪華なキャスト陣をどう余すことなく使うのか?またどのように異なる時代を1つの物語へと繋げて行くのかと思いましたが、最初の作品から2作を製作したシンガー監督版「X-MEN」の主人公ウルヴァリンによって見事に1人1人のキャラクターが紡がれアメリカの歴史をも巧みに織り交ぜたアクションありユーモアありの超大作らしい仕上がりとなっています。なにより長年のファンにとって次々と再登場するキャラクター達には感涙、感激の一言でしょう! 目指すものは同じでもそれを実現する方法が違い、その違いが新たな火種を生んでしまう若き日のマグニートーとプロフェッサーXが一転、未来ではパトリック・スチュワートとイアン・マッケランのベテラン俳優によってまるで長年連れ添ったパートナーかのような雰囲気を醸し出し、過去の2人の危うい関係性をより引き立たせています。この演技のリレーにも表れているように人間ドラマを丁寧に描くためにアクションセンスよりも演技力を重視し選ばれたと言う俳優陣の演技合戦も見所の1つです。また新しく登場したクイックシルバーの超高速移動のシーンは、高速とは真逆のスローな表現を使うことで疾走感のある仕上がりになり、この作品上もっとも印象的なシーンとなっています。 「X-MEN」には他のアメコミ映画には無い重厚感があると感じます。それは、生まれ持った能力である。と言うことからも表現されているように、たとえば自身ではどうにも出来ない事によって不当な扱いを受ける人々や過去、そして現代の社会問題についてをミュータントと言う能力者たちを通して問題提起をしているからです。またそういった部分をきちんと描くことでこの作品がただのヒーロー映画に終わらず14年もの間輝きを放ってきた理由であると思います。 最後にアメコミ系映画を見るときは是非エンドロールの最後の最後まで映画を堪能して下さい! |
小室明子さん(女性/30代) 「ブルージャスミン」 5月21日 シネスイッチ銀座にて |
女性雑誌の特集によく載っている「愛され〜〜」というフレーズ。なぜ「愛され」る必要があるのか?それは女性という生き物が本能的に男性から愛される事に価値を見いだしているからだ。結婚し男性から愛される事は自身のステータスそのものと言っても過言ではない。言い換えれば愛されなくなった女は無価値に等しく一人で生きる事を余儀なくされ、死に直結しかねない危険性を孕んでいる。だから、女性達は常に若くありたいと願い、いつまでも男性に愛される女性でいようと涙ぐましい努力を重ねるのだ。 主人公・ジャスミンの不幸は「愛されない女は不幸である」という思い込みから来ていると感じた。ジャスミンは愛される事に一途で魅力的な女性である。虚栄心は強いが、男性にはしょっちゅう言い寄られ、美人でセクシーで、本来努力家なのである。キャラクターの魅力で映画を引っ張っているといっても過言ではない。だが、人間は楽をしたがる生き物でもある。できれば努力などせずに楽に裕福に暮らしたい。その楽をしたい欲が映画の中でどのように展開していくのか、ドキドキしながらほぼ気持ちはジャスミンになって観ていたように思う。だが一方で「こうすれば良かったのに」とか「私だったらこんな生き方しない」と思った人もきっと多いだろう。セレブのふりをしたり、愛されるための嘘までつく必要など無く、巷で人気の歌のように「ありのままの」の等身大の自分で生きれば良かったのに、と思わずにはいられない。 しかし、人間は虚栄心の生き物だ。常に周りから自分がどのように観られているか、絶えず意識している。ついセレブのふりをしたり、つい嘘をついてしまう事はよくある。果たして我々はジャスミンを笑えるのか?いや、笑えない。むしろその滑稽にも見えるジャスミンの行動に思わず共感してしまうのだ。2作目が出る事はもうないと思うが、次回作がもし出来たら絶対に観てしまうだろう。それだけジャスミンは感情移入出来る愛すべきキャラクターなのだ。 さて、劇中に流れる「Blue Moon」。曲の明るい雰囲気とは対照的に崩れて行く女の悲哀を見事にケイト・ブランシェットが演じている。「私、これでオスカー獲りました」の宣伝文句しかり、今までのケイト・ブランシェットのイメージを見事なまでに覆す名作である。ぜひ映画館で女友達と「悲惨だなぁ!」と言いながら自分の事のように笑って観てほしいと思う。 |