榎本泰之さん (男性・20歳/大学生) 「終着駅 トルストイ最後の旅」 9月24日 TOHOシネマズシャンテにて |
悲しみに堪え、凛とした表情で列車に佇むソフィア。窓辺を見るために顔を向けるとそのすらっとした鼻が目を引く。片手を娘のサーシャが握り、列車は進んでいく。“ソフィア、神に祝福あれ”の声もそれを追いかけていくが、もう夫トルストイの姿はない。 すべての宗教には共通点があると説くトルストイが訴え続けたのは、“愛”の存在。対立を繰り返したトルストイと妻ソフィアの間には、どんな愛が存在していたのか。 トルストイと言えば世界的に著名な文豪だ。だが、トルストイと聞いて哲学者を思い浮かべる人も少なくない。『戦争と平和』を始めとして数々の作品で展開した持論は多くの人を感化し、トルストイ主義運動へとつながっていった。 一番の弟子であり友人であるチェルトコフが唆すと、指導者としての責任も忘れられなくなる。自分の主張に基づいて著作権を手放したり、土地を手放したり。結果としてそれはすべてトルストイ本人やその家族の生活を苦しめることにもなる。自分の考えによって束縛されるトルストイの弱さが露呈していく。 そんなトルストイに唯一反発したのが妻のソフィアだ。一家の生計を立てる母として、そしてトルストイのことを最も良く知る妻として孤軍奮闘する。マスコミにすら隠れずに堂々と、チェルトコフ始めトルストイ主義者と戦う。その強引さは他者を恐れさせ、世界三大悪妻の一人とまで言われるようになる。 だが、これはトルストイにとっては救いでもあった。妻ソフィアの存在が、トルストイ主義運動に引き込まれていくトルストイをぎりぎりのところで正常に留めていた。一方のソフィアも、その行動力の裏には結婚したての頃、まだ誰も率いずに普通の作家としてベストセラーを夢見ていたような頃に戻りたいという純粋な気持ちがあるのだ。 二人は対立しながらも離れられない。相手を気遣うがゆえの対立には愛があり、その仲直りも熟れている。長年連れ添った相手こそが、自分のことを一番良くわかっている。どんな時でも頼れるただ一人の相手、自分を頼ってくれるただ一人の相手。その相手の存在は大きい。 ある著名な文豪とその妻という非常に特殊な例ではあるが、熟年離婚が増加するこの時代に普遍的な夫婦の存在意義を教えてくれる。 |
杉山さん(女性/専門学校講師) 「スープ・オペラ」 10月8日 TOHOシネマズ川崎にて |
本作の予告ポスターを劇場で見かけた時、くいしんぼうとしてはまずタイトルに惹かれてしまい、「うわ~っ、観るぞぉ」と盛り上がってしまった。そして予想通り、スクリーンには全編に渡って美味しそうな料理が次々と登場した。 主人公の想い出のスープは、鶏ガラと野菜からとった一品。主人公のルイは父親が誰だか分からず、母親は幼い頃に他界し、叔母のトバちゃんに育てられた。トバちゃんは鶏ガラをお肉屋さんからいつもタダで譲り受け、スープを作りながらまだ幼いルイにこう諭す。「このスープさえあれば、生きてゆけるの」と。この言葉は、知恵を絞ってヤリクリすれば人間は生き延びられるということでありズッシリ重たいが、スープは濁らせない注意を払って煮込まれたため透き通っていて、実に美味しそうだった。 トバちゃんは還暦前に「お嫁に行くわ!」と突然宣言して家を出たため、ルイは30代半ばにして急にひとりぼっちになってしまう。ところが、ひょんな出来事から男二人との共同生活が始まる。初老の画家・トニーさんに心を許す場面ではお肉屋さんのハムカツが登場する。ハムカツは二種類あるのだが、値段が安くて薄いハムの方が衣とのバランスが良く、厚いハムカツより断然美味しいと二人は共感する。値段が高ければ良いってものではないと。これにはなるほどと考えさせられた。もう一人の同居人となる20代の雑誌編集者・康介君とは、ルイが無理やり参加させられた有名作家とのフランス料理の食事会で出てきた桃のスープを食して、二人は美味しいと共感した。 料理は他にもトニーさん手作りのお弁当、三人の共同生活が始まる記念の引越しそば、三人の共同生活は「食事当番はかならず一日に一品スープを加えること」という約束を交わしたために食卓に必ず上がるスープなどが登場し、どれも美味しそうだった。 今年公開の邦画は、食をテーマにした作品がとても多いと思う。「トイレット」、「オカンの嫁入り」、「おにいちゃんのハナビ」、「カラフル」など、どれも家族揃って食卓を囲む大切さを訴えている点が印象に残った。本作は家族でも恋人でもない三人の共同生活の話だが、きちんとごはんを作り笑顔で一緒に食べるということは、大切な人との関係が良好で心身共に健康だという人生の愉しみを、温かいスープは教えてくれた。 |
室岡陽子さん(58歳/アルバイト)「ルイーサ」 10月15日 ユーロ・スペースにて |
ルイーサはもうすぐ60歳。飼い猫のティノだけを伴侶にして、もう長い年月判で押したように規則正しい生活を送ってきた。 黒い髪をひっつめにして、地味な黒のスーツにゴツい黒の紐靴。およそ洒落っ気のかけらもないクソ真面目ないでたちに不愛想な顔がのっかっている。まだ暗いうちに起き出して猫に話しかけ、身なりを整えてアパートの管理人と挨拶を交わし、職場に出かけていく。やがて夜が明け、彼女の乗ったバスの窓の外に流れていくブエノスアイレスの街並みが、朝日に染まり、薔薇色に輝いていく。軽快だがどこか哀愁の漂う“スーペル・チャランゴ”の音楽が、一日と物語の始まりを告げる。 しかし、こうしたルイーザのささやかな生活は、ある日一気に崩れ去ってしまう。愛猫ティノの突然の死に加えて、同じ日に2つの職場から一方的に解雇されてしまうのだ。退職金もない彼女はにっちもさっちもいかなくなってしまう。そして靴の空箱に入れておいた猫の死骸をやむなく埋葬費を稼ぐまでと、冷凍庫に入れる。この冷凍猫をマトンだと偽って管理人に預かってもらうくだりやクビになった霊園の経営者や銀行の頭取とのやりとり、ついに思いあまって、地下鉄駅構内で物乞いを始めるまでのいきさつなどに奇妙なユーモアがあり、いい味を出している。 やがて後半、ルイーサは管理人や物乞いの先輩老人に助けられて、徐々にその心を開いていく。心の変化につれて、ルイーサの装いも変わっていくところが面白い。カールしたかつら、明るい茶色のストールを巻いて、大きなサングラスをかけたルイーサはもう以前の彼女ではない。そしてやっと猫のティノをゴミ焼却炉で火葬にする時、彼女は一緒に自分自身の過去をも灰にする。長い間たった一人で、胸の中にしまってきた悲しみを洗い流すかのように号泣するルイーザ。私は考える。彼女が夫と娘を一度に失ったという1918年にこの国には何が起こったのだろう。この映画には、その出来事をルイーサと共に胸に抱いて忘れまいとする気持ちが強く感じられる。一つの国の歴史の光と影。淡々とした映画だが、老いの孤独とそれでもなお、毅然として人生を切り拓いていく女の気概が頼もしい。たとえ家族がいなくとも、お金が無くとも人は生きていかなきゃならないのだ。男だって女だって、子供だって年寄だって。そんな人生肯定主義の骨太な良さがズシリと貫かれた映画だ。 |