レビュー一覧
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石津 修之さん(男性/52歳/会社役員) 「凶悪」 9月21日 幸手シネプレックスにて |
想像以上にヘビーかつダーティな描写でひるみそうになったが、その面白さもまた格別だった。殺人犯が獄中から別の共犯者を告発するという、信じられないような実話である。 役者として悪を演じるのは、自身のイメージが悪に傾斜するという意味で危険であるが、演技の幅を広げるにはもってこいのチャンスでもある。特に殺人犯ともなると、想像を絶する境地に自分を追いつめていく作業が必要となる。これは、役者として本能的な媚薬にしびれることでもある。つまり、まだ知らない自分を体験する、それも現実では起こりえない空想の世界に身をゆだねるのだが、見る者には本当にそこにあったかもしれないと思わせる、極限リアルに迫ることの挑戦でもある。いや、リアルさえも突き抜ける驚きの非現実空間の中での狂気への接近かもしれない。いわば、役者としての戦慄の瞬間でもあり、それは一種の悦楽さえ内包する演技という魔物。このゾクゾクするような演技の地平を切り開いたというべき天才的な俳優、リリー・フランキー、ピエール瀧。この恐るべきキャラクターの造形に興奮した。うなった。悪は正義に対するアンチとしての悪なのではなく、悪そのものとして暴発しながら自走していく。一方、山田孝之演じる記者も、本当の正義からは微妙に逸脱していき、暗い情念のとりことなり落ちていく。これまた熱演。 それらの驚異的な演技に対して、演出はあくまでもクールに悪の行先を見つめる。この端正な演出力は非凡な才能を感じる。冒頭から緊張感を張りつめ緩むことがない。ラストまで、ぐいぐいと引っ張る強い引力は、演技者の力だけではなく、物語を語る能力の高さによるものだ。記者が取材をしていく中、ある家の窓ガラスをこすり、部屋を凝視するとそこで殺人現場が展開するという、時間を飛び越えるシーンの演出の巧みさに舌を巻く。このようなフィルムノワール的な悪の描写とうらぶれた街の風景が強烈に印象を残すのだが、この作品を演出した白石監督は38歳で、この作品でメジャーデビューという。今後が楽しみだ。 それぞれの才能が思い切り解き放たれ、自由に表現という衣に身をまとい、飛び跳ねる。ダークだからこそ大きなパワーを持った傑作となった。 |
かつをさん(女性/40代) 「わたしはロランス」 9月23日新宿シネマカリテにて |
元々2つの異なるものが認められるこの世界で起こっている愛と人生の選択の物語。監督はグザヴィエ・ドラン若干24歳。この作品は2012年カンヌ国際映画祭ある視点部門で最優秀女優賞を受賞したそうです。 男性として人気があり大学の講師の仕事もあるロランスが、恋人で同棲している女性のフレッドに言い出せなかった秘密〜性同一性障害〜を告白し、そこから起こるロランスの自分と愛を探す旅は、共感できるとか理解できるとかより、心が痛む話であり、時間が毒にも薬にもなるという印象でした。 性同一性障害は、ドラマの『金八先生』でも取り上げられたくらい(上戸彩ちゃんが演じてました)なので、珍しいものとして思われなくなったと思うのですが、ロランスとフレッドのように長く付き合い『お互いを異性として』愛し合っていた二人のうちの一人が『異性』ではないと思っていたと知ったら、きっとフレッドのように動揺し、自暴自棄になってしまうのではないかと思います。ですが、この映画でフレッドは葛藤の末にロランスの告白を受け入れ、理解者として共に生きるという選択をするのです。選択してからの道程で二人は世間体、家庭観、強烈な自我と闘うことを余儀なくされます。最後にこの二人の選択はどのような選択をするのか。もしかしてそれは様々なセクシャリティがこの世界に存在するのと同じように、環境や年代によって感じ方が違うのかもしれません。映画のコピーのように『ふたりはお互いにとっての"スペシャル"であり続けることができるのか…?』観終わってから『愛って難しくて風が吹くようだな…』なんて呟いてしまいました。 映像的な面でいえば、まさに『映画でしかできない、映画だからできる話』という印象。鮮やかな色〜青と赤の色の使い方が絶妙で(特にロランスの恋人フレッドにかかる色の使い方が感情とともに変化して秀逸)、予告編でも出てくる洋服が舞い散る場面など心象を描く場面にわし掴みになり(その時に敢えて音を消してスローにしていたような…水を使った驚きの場面とか「!」が多い)ここぞという時の激情的な音楽。観た後に猛烈に吸いたくなる煙草をふかす二人の格好良さ。さすがにスタイリッシュで、憧れてしまいます。一人でも深く考えるきっかけになる映画ですが、恋人同士だとお互いの存在を考えるきっかになる作品だと思いました。 |
村上 真章さん(男性/29歳) 「甘い鞭」 10月8日 丸ノ内TOEIにて |
ハッピーエンドなんてつまらない!! という、ひょっとしたら社会的に屈折しているかもしれない信念とポップコーンを片手に持ちながら映画をたしなむのが、何を隠そうこのボクです。だって、行き着く先が幸せな結末だなんて世の中そんなに甘くないぞ、みたいに偉ぶった思想を吹かしてみたい年頃なのですから。つまり、この「甘い鞭」を観る際にも当然のごとくバッドエンド、すなわちアン幸せな結末を期待していたわけです。 そりゃあ無理もないでしょう?タイトルに入った鞭という単語、本編を鑑賞する前に予備知識として流れてきたあらすじ、なにより主演が背徳な美の象徴ともいえるあの壇蜜さん(個人の見解です)なんですから。ハッピーエンドになる要素なんて皆無だと思っていました、あのラストシーンまでは。タイトルとは裏腹に、この映画はそんなに甘い筋書きを展開させなかったのです。 作品に色濃く映し出されているものは、いうまでもなく欲望です。主人公を取り巻く人間の醜くもどこか儚い欲が、下手なフィルターを介すことなく、美しく汚ならしく、痛々しさすら甘美なまでに伝わるほど、直接的に表現されていました。そんな世界で、屈折した欲望の渦に飲み込まれゆく主人公が、不幸というある種の快楽に溺れきったところで終幕。と思われた刹那、衝撃のラストカットが映されます。 もちろん、様々な解釈があるのでしょうが、ボクにはあのシーンが最高のハッピーエンドに感じられました。欲望に打ち勝つ感情とは何か。幸せの背景に存在するものとは何なのか。そんなことを物語ってくれる、まさに救いのラストでした。 金魚すくいに飽きた方は是非、「甘い鞭」の結末に足元をすくわれてみてはいかがでしょうか。そうそう、劇中に壇蜜さんが鞭を使うときの無機質な表情は必見です。おかげさまでボクも欲望の渦が目覚めそうになりました。M。 |