レビュー一覧
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榎本泰之さん (男性・20歳/大学生) 「おとうと」 3月15日 新宿ピカデリー |
本作には、ゆっくりとした展開の中にあるひとつのひねりがある。それは、“おとうと”の死だ。だめな弟とその母親のような姉のやりとりが面白おかしい前半から一変、知らぬ間に“おとうと”が「きぼうのいえ」にいる後半はシリアスなドラマになる。 普通なら“おとうと”から姉への恩返しとでもいうような展開があり、献身は報われるというメッセージに持ってくる。だが、本作ではその“おとうと”が何も変わることもなく姉に見守られながら死んでいくことで、家族間や兄弟間の関係は、損得の関係ではないことを教えてくれる。 山田洋次監督によると本作は「賢い姉と愚かな弟の、可笑しくて哀しい物語」である。姉の娘である小春の視点で描かれるが、主軸にあるのは兄弟間の絆。それは、姉が家庭を持ってもなお、母親のように弟の面倒を見るという今までの関係にも、姉が弟を看取るという最後の展開にも見られる。二人の関係は公平とは言えない。ギブアンドテイクの関係ではなく、一方向の献身である。 何故、姉はそこまでして弟の面倒を見るのか。そこには、ただ人が良いというよりは別のものがある。姉はただ大人になれない馬鹿な弟をけなすのではなく、兄と自分は弟を踏み台にして生きてきたのかもしれないと感じている。弟に負い目を感じつつ、その埋め合わせをするためでもあるのだ。 時にはいいこともあり、時には厄介にもなる絆。それは、兄弟間に限らず家族間にもある。社会において、その絆が失われつつある。親は子供を虐待し、意見の違いから子供は親を殺す。兄弟間では資産相続を巡って争う。同世代間の関係が強くなりつつある中で、家族は他人になりつつあるのかもしれない。お互いに聞く耳を持ち、良き理解者で良き相談者であるだけでなく、時には異なる価値観のもとで意見を違わせ、自分を改め直す必要がある。そのために家族はいるのだ。それぞれが多忙な生活を送るために家族間の結束が弱まりつつある中で、改めて家族という絆の素晴らしさを教えてくれる。 |
(男性・29歳/会社員) 「パレード」 3月25日、 渋谷シネクイント |
原作となっている吉田修一の同名小説の映像化を行定勲監督は構想から10年かけようやく実現させたという。全編を通して背景に描かれている一連の通り魔事件の犯人が明らかになるラストシーン。原作では犯人は“そこらへんに落ちている石”を凶器として使用するが、本作では“あらかじめポケットに忍ばせておいたスパナ”を使う。衝動的に犯行に及ぶ犯人の猟奇性ではなく、意図して犯行に及ぶその計画性に焦点を当てたと言えるが、それは恐らく原作の出版当時の世相と2010年現在の世相の差を浮き彫りにする意図があったからだろう。昨今、凶器を用いた凶悪事件報道の際、よく耳にする「精神鑑定」。その大きな決め手となるのが、それが衝動的なものだったか?計画的なものだったか?という点。本作の犯人の犯行動機に逃げ道を残さないこと、延いては、その「計画性」に焦点を当てる演出方法を採ったことで、作品全体を支配している根底のテーマをより脅威に満ちたものにすることに成功していると強く感じさせる。 ワンルームに意図されず集まってきた若者5人は、それぞれの本音を決して漏らさず、ある登場人物のセリフ「善意のあるチャットや掲示板」に象徴される通り、当たり障りのない、お互いを傷つけない人間関係を構築している。この部屋は、日本の社会の縮図そのものだ。5人も登場人物がいて、それぞれの日常についてはほとんど触れないのはそういった意図の表れだろう。 その中で日常の均衡を破る人間が、林遣都演じる“サトル”である。彼は言うまでもなく、ストーリー上最も重要な鍵を握る人物だ。誰よりも特異な行動を取る人間として描かれていながら、恐らく観客のほとんどはこのサトルに感情移入することになる。それは彼だけが唯一、この部屋を内側からも外側からも見ることができる視点を持った人間だからだ。「サトル役が決まらなければこの作品は撮らない」とさえ言ったという行定勲監督が、手放しで絶賛した林遣都の演技は、これまでの爽やかな少年・林遣都のイメージを大きく覆すほど異彩を放っていた。そして、その演技はそのまま、この作品の高い評価の最大の要因とさえ思わせるものだった。 |
藤井さん (女性/建築士) 「サヨナライツカ」 2月3日 109シネマズMM横浜 |
愛した記憶と愛された記憶、どちらも美しい。 久しぶりの中山ミポリンの映画で、やっぱりキレイだな~と感動してしまいました。ホントにキレイですね。あの眼に見つめられたら、女性でもドキドキしちゃうと思います。 私は、この映画、すごく好きな映画に入ります。愛の深さや、立場によって愛の表現の仕方が変わってくるところがすごいですよね。 女性にはすごく解ると思うのですが、自分の立場が婚約者の方なら、あの行動も解るし、沓子のような立場なら、引き止めたいけど出来ないという苦しい状況も解るし、辛いですよね。誰でも、シチュエーションは違えど、どちらの立場にも立ったことがあるのではないかと思います。だからこそ、この映画は、とても感情移入が出来て、感動出来るのではないかと思いました。 もー、沓子との別れの場面で涙がボロボロ、沓子との再会で、またもボロボロしてしまいました。 25年も前に別れた恋人をずーっと思い続けて、どこかで偶然会えることを夢見て過ごしているというのって、すごい……。その気持ちの深さだけで泣けます。私は、これほどに人を愛せるんだろうかとか、愛してもらえるんだろうかとか、鑑賞しながら、本当に考えてしまいました。 そして、自分が死ぬとき、愛したことを思い出すのか愛されたことを思い出すのか、まだ解らないけど、でも、出来たら、必死で愛して、それに答えてくれた事を思って死にたいなぁ。これって、愛した事を思い出す事なのかな。 ネタバレは出来ないけど、ラストの沓子の言葉が好きでした。”飛ぶ鳥後を濁さず”みたいな言葉を残すのですが、これがカッコイイんだ。理想ですね~。 私は、この映画、特にお勧めだと思います。若い女性から年配の女性まで、女性には、ぜひぜひ観て欲しい映画だと思います。いまどき、草食男性が多いので、女性が沓子のように情熱的になってリードして行かないと、何も始まらないですもんね。情熱的な女性って、ステキです。 みなさん、この映画を観て、情熱的でステキな女性に、少しでも近づいて欲しいです。 |
室岡陽子さん(女性・58歳/アルバイト) 「フローズン・リバー」 2月20日 シネマライズ |
切羽詰まった、行き詰まった、にっちもさっちもいかない、どん詰まりのその先を力づくで強硬突破する。狼のように襲いかかってくる貧困の中に生きる、女たちのタフなサバイバル・ストーリー。 たった一つ、母としての愛を心にともして、その一本の蠟燭の光に導かれて、厳寒のカナダ国境、凍りついた大河を渡っていく。 果たしてその先に、彼女たちを待っていたものは何だったのか……。 タトゥーにスリムなジーンズと銃がお似合いのレイ。小太りのブスだけど、若く、金銭感覚に長けたモホーク族の女ライラ。そんな二人がいっとき手を組んで、白く凍った冬のセントローレンス川をクルマで渡って行なわれる密入国の手引きをする。この国境地帯が先住民の保留地の中にあるため、そこでは州の法律が適用されないという盲点をついた裏ビジネスだ。確かに後から来た白人が決めた国境など、彼らには意味をなさないのだろうが、建国して何百年もたつ国家の中に、未だにこのような目に見えない先住民の国が残っている事に驚かされた。北米大陸には二つの地図があるのだ。 それぞれに事情は違うけれども、社会からはじき出された二人にいつか友情が芽生える。映画にも登場人物にも余裕は少しもない。そのきりきりと胃の痛むような感覚が、いかにも今の世の世界の情況を伝えている。足を踏みはずせばそれでおしまい、みたいな危ういところに私たちはさしかかっているなーと思う。足下の先は深く、何も見えない。川の厚い氷もいつ割れるかわからない不気味さを秘めて二人の前に広がっている。 女のたくましさが今さらながら身に沁みる作品。この押しも気も強い、人種の違う母同志が凍りついた川のように冷たくワイルドな世間をいささか強引にサバイバルしていく。しかし、それも又愛する家族、我が子のためなのだ。その愛する者たちを守るためならどんな事でもする。それだけが彼女たちの生きていくために共通のパスポートなのだ。 母は強し、しかし又哀しい。だがこの新鋭の女性監督は、ラストにりりしい女の理想と本当の友情を見せる。ここに、しっかりと一本の人間としての正義を貫いたところに清々しい太陽が輝いた。言葉は少ないが、魂の深いところで結ばれた女の友情に万歳!アメリカにも肝っ玉かあさんはいたんだなあ~。 |