レビュー一覧
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久保さん(男性/52歳/会社役員) 「インポッシブル」 5月25日 試写会にて |
2004年のスマトラ島沖地震の津波で被災した家族の実話に基づく物語。物語はあるイギリス人家族がタイのプーケットにやってくるところから始まる。美しいビーチの前に立つコテージで妻と子供たちとクリスマスを過ごそうというのだ。冒頭は絵に描いたような幸せが描かれるが、それも数分で終わる。不気味な地鳴りと共に大津波が人々を襲う。 この津波のシーンが凄まじい。これでもかというほど津波の恐ろしさを映像で再現している。あまりにもリアルなので感受性の強い方や被災地の方は見るのも辛いだろう。実際に津波の被災国である日本ではこれらのシーンはかなりの配慮が必要なシーンだと思われるが、ただ他国の人たちからすれば、津波を扱った映画であるからには最も関心を呼ぶスペクタクル・シーンであるにちがいない。 ただこの映画は迫力ある津波シーンだけが売りのディザスター映画ではない。津波によって離ればなれになってしまった家族が再び巡り会うまでの人間ドラマが熱い。まずアカデミー賞主演女優賞にもノミネートされていた母親役のナオミ・ワッツ。津波に呑み込まれて水中でもがき苦しむシーンから、瓦礫の中で傷だらけになりながらも子供を必死に守ろうとする母親をまさに体当たりの演技で熱演している。最優秀主演女優賞は「世界にひとつのプレイブック」(13)のジェニファー・ローレンスに持って行かれたが、私はナオミ・ワッツの熱演に一票入れたい気持ちだ。 物語の終盤、離ればなれになっていた家族と再会を果たすシーンでは自然と熱いものがこみ上げる。家族を失った人、もっと悲惨な体験をした人もいるだろう。だがこれは津波の映画ではなく家族の映画だ。この大津波から家族5人が生き残った奇跡の物語として素直に受け取りたい。ただ、家族が帰国する飛行機から見た窓外には、まだ津波の被害がそのままのビーチが広がっている。被災した国の人たちと被災地はそのままだ。そんなことを考えてしまうのは3.11を経験した日本人だからというだけだろうか。日本ではこのようなエンタテインメント側に立った津波を描く映画はまだ当分作れないだろう。だがいつの日か、最大の津波被災国として3.11を世界に後世に伝える映画を作るべきなのではないだろうか。 |
吉田創貴さん(男性/25歳/会社員) 「言の葉の庭」 6月2日 TOHOシネマズ渋谷にて |
アニメが好きなので、今回は新海誠監督の最新作「言の葉の庭」を選びました。余談ですが、5月のレポート担当だったら劇場版名探偵コナンで書くつもりでした。コナン好きな方はもちろん(私のように)TVドラマ『相棒』が好きな方は特に楽しめる作品だと思います。とうとう日本を救ったコナン君、来年は何をしてくれるのか楽しみです。 さて、本題に戻って「言の葉の庭」のお話。雨の日は決まって学校をさぼることにしている高校生のタカオ。彼は靴職人を目指してお り、学校をさぼっては日本庭園で靴のスケッチを描いています。ある日、その庭園でタカオは年上の女性・ユキノと出会います。声を掛けたタカオに彼女は『雷神(なるかみ)の~』から始まる万葉集の一篇を口ずさみます。その日から、雨の日の午前中だけの交流という二人の不思議な関係がスタートします。 まだ子どもで歩き方を知らないタカオと社会で壁にぶつかり歩き方を見失ったユキノ。タカオが歩いていく世界とユキノが歩いてきた世界。二人の世界が『雨の日の午前』という限定された世界で交わっていきます。他人の世界に踏み込んでいくことはなかなか難しいです が、『雨』という神様しか操れないような現象が二人の中で“互いの世界を知ろう”という特別な条件となったとき、二人の世界はどんどん近づいていきます。 歩みを止めていたユキノが、タカオの世界に触れることで歩き出す方向を見つけていきます。また、ユキノの『歩く』練習を手伝っていたタカオも自分が外の世界へ歩き出す練習をしていることに気づいていきます。知らない世界、困難が待ち受ける世界へ歩き出すには勇気がいります、二人が歩き出したきっかけは『雨』でした。この映画も、タカオ・ユキノにとっての『雨』のように観客が新しい世界へ歩き出すきっかけになれば素敵だな、と思います。しかし、きっかけはあくまできっかけ。『雨』という条件がなくなったとき、そこからどう歩いていくのか?それが大事だと思います。二人がどう歩いていくかは、劇場で確認してみてください。 雨の日にユキノみたいな女性と会えるのだったら、靴のスケッチは無理でも読書くらいはしに行こうかな?なんて思ってしまう作品で す。さすがに仕事さぼれないので、雨の土日というかなり厳しい条件になってしまいますが…(高校生のタカオがうらやましい、まあ学校も本当はさぼっちゃダメですけどね)。 |
村上真章さん(男性/29歳) 「中学生円山」 6月7日 有楽町スバル座にて |
『ざまあみろ』 と心の中でほくそ笑みシャウトしたのは、この映画を見終わった後のことでした。「中学生円山」は、現在NHKの連ドラで脚本を担当し話題になっている、宮藤官九郎さんの脚本・監督作品です。そんな本作を観たボクが、一体何ゆえエキサイティングな心の雄叫びを轟かせたかというと、エンドロールが流れきり館内が明るくなったところボクの前方で鑑賞していた男女(キャンパスライフを満喫していそうな大学生とお見受けした)が、何やら『思ったのと違う』をアピールしたいばかりの表情を浮かべていたから、に他ありません。あくまでも予想ですが、その若い2人は放送されている連続テレビ小説のドラマをイメージしつつ劇場に来たのでしょう。まだまだ『アマちゃん』ということですね。あのカップルには申し訳ありませんが、逆に、これこそボクが待ち望んでいたクドカンの映画、でした。 リアリティのない現実を何も考えずにただ繰り返すだけの日常は、己の存在価値をも空虚なものへと堕落させていくことでしょう。 どんなにくだらないことだって全てにリアリティを感じられていた中学生の頃。校庭で可愛い女子のスカートが風にそよぐだけで、大抵の男子は、少なくともボクおよびボクの友達たちは風水を操る術を試みたものです。そんな思春期の妄想は加速して飛躍していって、そこにかかる重力こそ自分の存在証明だったのではないかと思います。 「中学生円山」は、中学生らしさを忘れていない宮藤官九郎カントクの妄想をまるで頭の中をそのままスクリーンに映し出したかのような作品です。ボクの一部に刻まれている、中二病の細胞が待ち焦がれていたワールドでした。主人公の円山が持つ『くだらない夢』を忘れてしまったような大人の殿方にお薦めしてみます。 この映画はきっと貴方がたを、あの日の中学生にしてくれることでしょう。 ちなみに、ボクはもう少しで、届きそうです。 |