大林恭子 (おおばやし きょうこ) 【プロデューサー】
1958年、大林宣彦監督の自主映画「絵の中の少女」でヒロイン役を務めた。それ以来、大林宣彦監督を公私に亘り支え続けた。商業映画デビュー作「HOUSE ハウス」(77)から尾道3部作をはじめとする40本以上もの大林作品の製作に携わってきたが、プロデューサーとして名前がクレジットされたのは「転校生」(82)が初めて。同作は大ヒットし、大林作品に欠かせない存在となった。2016年に大林宣彦監督はがんによる余命宣告を受けたが、映画制作を続ける同監督を支え続け、再び尾道を舞台にした遺作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」(20)を完成させた。また多くの作品を通じて平和と自由を訴え続け、今もその活動を続けている。
笹竹利行 (ささたけ としゆき) 【映画美術文字デザイン】
1958年東宝に入社し、美術課に配属となる。以来、字書き一筋で様々な文字を手掛ける。字書き・レタリング(映画美術文字デザイン)とは、作品画面に映る文字を書く職種で、タイトル、看板、標識、文書や書状など多岐にわたる。時代劇・現代劇問わず、蓄積された豊富な知識で多様な書体を操り、その作品の時代設定にふさわしい文字を書き続け、多くの美術スタッフからの信頼を得た。また後進の育成にも熱意を注いでいる。主な作品に、「天国と地獄」(63)「居酒屋兆治」(83)「陰陽師」(01)「ALWAYS 三丁目の夕日」(05)「母べえ」(07)「沈まぬ太陽」(09)「峠 最後のサムライ」(22)などがある。
2011年 文化庁映画賞映画功労部門受賞
月岡貞夫 (つきおか さだお) 【アニメーター】
高校卒業後、手塚治虫に師事。1959年、東映動画による長編アニメーション「西遊記」(60)の制作に参加したのを機に、アニメーターとして同社に入社。作画のレベルの高さとスピードで“天才アニメーター”と呼ばれ、「わんぱく王子の大蛇退治」(63)では大塚康生とともにクライマックスシーンの作画を担当するなど、その才能を早くから開花させた。東映動画の初のテレビアニメ『狼少年ケン』(63~65)では、原作とキャラクター設計及び、初期の演出や原画までも務めた。同社退社後は様々なアニメ制作会社に参加して後進育成なども行い、NHK『みんなのうた』やCMなどでは短編アニメーション作家としても活躍。作家性と独自の発想により生み出された技術で、アニメの黎明期を支えた一人である。