第31回日本アカデミー賞優秀作品一覧に戻る
日時: 2008(平成20)年2月15日(金)
場所: グランドプリンスホテル新高輪
司会: 関口宏/中谷美紀

優秀作品賞
最優秀賞/優秀賞
(C)2007「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」製作委員会

最優秀作品賞 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


リリー・フランキーのベストセラー小説の映画化である。この作品ではボクとオカン、そしてオトンが歩んだ長い年月を軸に、青春の倦怠やボクと周りの人たちとの交流がごく自然なかたちで描かれ、映像作品ならではの広がりと面白さに満ちている。どんな人の中にもある親への思い、普遍的かつ大切なものを見せてくれた。(「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」製作委員会)

優秀作品賞 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


あの懐かしい面々が帰って来た。06年の日本アカデミー賞で殆どの最優秀賞を受賞した傑作映画の続編である。今回は物語の進展という興味もさる事ながら、空の見える日本橋や東京タワーの展望室、そして、特急こだまやプロペラ機DC-6Bなどの乗り物も登場し、大いに観客を楽しませてくれる。(日本テレビ=ROBOT=小学館=バップ=東宝=電通=読売テレビ=読売新聞=白組=IMAGICA=STV=MMT=SDT=CTV=HTV=FBS)

優秀作品賞 「キサラギ」


グラビアアイドル如月ミキが自殺を遂げて後の1周忌追悼会。男達が思い出話を繰り広げる中、ふと誰かが言葉を投げ掛ける。「彼女は殺されたんだ」と。珍しいワンシチュエーションスタイルのコメディ&ミステリーは意外な結末へと展開していくが、物語を支える5人の男達もまた魅力的である。(ミコット・エンド・バサラ=ショウゲート=テレビ東京=キングレコード=読売広告社=東映チャンネル=東映ビデオ=Yahoo! JAPAN=PARCO)

優秀作品賞 「それでもボクはやってない」


満員電車で痴漢に間違われ、警察官に引き渡された就職活動中のフリーター、金子徹平。無実を主張するも勾留され自白を強要される。やがて起訴された彼に待っていたのは有罪率99.9パーセントとされる法廷であった。脚本も手掛けた周防正行監督は、撮影前に多方面に渡って綿密な取材活動を行い、そのことが作品に徹底したリアリティと厚みを与えている。(フジテレビジョン=アルタミラピクチャーズ=東宝)

優秀作品賞 「眉山 -びざん-」


母龍子の入院の知らせを受け、東京で働く咲子は徳島に帰郷する。そこで医師から告げられたのは、末期ガンという重い事実であった。闊達で気丈な母親、それに反発する娘が心を通わせていく過程が、阿波踊りというファクターを加えて丹念に描かれている。ドラマと踊りが融け合うクライマックスは圧巻。(東宝=フジテレビジョン=幻冬舎=博報堂DYメディアパートナーズ=関西テレビ放送=PPM=キアロスクーロ〔IMJ-E〕)
優秀アニメーション作品賞
最優秀賞/優秀賞
(C)2006松本大洋/小学館、アニプレックス、アスミック・エース、Beyond C、電通、TOKYOMX

最優秀アニメーション作品賞 「鉄コン筋クリート」


親を持たぬ少年、シロとクロ。非合法な力が暗闘を繰り返す「宝町」で、彼等もまた自らの力だけを頼りに生きていた。そんな中、町を支配しようとするヤクザによって強大な敵が現われる。2人の、そして町の行く末は?松本大洋の傑作コミックに惚れ込んだマイケル・アリアス監督が、膨大な時間と情熱を傾けて実現させた作品である。(「鉄コン筋クリート」製作委員会)

優秀アニメーション作品賞 「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序」


12年前、TVで放映され、その質の高さとスケールの大きさ、さらには圧倒的な情報量でセンセーションを巻き起した「エヴァンゲリヲン」。今回、庵野秀明監督とスタッフによる劇場版では、新たな全四部作のスタートに相応しい作品にすべく、最先端の映像技術を駆使して、かつての作品のエッセンスを再構築している。続編にも大いなる期待が集まることであろう。(カラー)

優秀アニメーション作品賞 「河童のクゥと夏休み」


江戸時代の地震によって石の中に閉じ込められていた河童の子供クゥは、小学生の康一が石を水につけたおかげで蘇る。そして康一の家族や飼い犬のオッサンと次第に心を通わせていく。この作品のもとになった木暮正夫の児童文学を原恵一監督が読んだのは20年前のことであった。単純な善悪では割れきれぬ人間の世界を、河童という存在を媒介にして見事に描いている。(「河童のクゥと夏休み」製作委員会)

優秀アニメーション作品賞 「ピアノの森」


森に捨てられていたピアノと出会い、音を紡ぎながら育った少年、一ノ瀬海。ある日小学校に転校して来た修平と出会うが、彼は幼い頃からピアノの英才教育を受けていた。一色まことによって現在も長期連載中のコミックスを、小島正幸監督がアニメ化。尚、一ノ瀬海と過去の天才ピアニスト阿字野のピアノ演奏は、世界的なピアニストであるウラジミール・アシュケナージが手掛けている。(「ピアノの森」製作委員会)

優秀アニメーション作品賞 「名探偵コナン 紺碧の棺」


太平洋に浮かぶ神海島(こうみじま)で宝探しゲームに興じるコナンと少年探偵団の下に巻き起こる新たな事件。彼等がゲームの謎を解いた時、<ジョリー・ロジャー>という言葉が浮かび上がるが、それは意外にも事件と結びつくものであった。女海賊の伝説を持つ海底宮殿の遺跡を舞台にお馴染みの登場人物が大活躍。シリーズ11作目の作品は、壮大な海洋アドベンチャーロマンとなった。(小学館=読売テレビ放送=日本テレビ放送網=小学館プロダクション=東宝=トムス・エンタテインメント)
優秀監督賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞松岡錠司「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


今回の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」での受賞は、監督である僕が感謝の気持ちを公にする、そういう機会を与えられたのだと思っています。映画に対する畏怖の念を忘れず、作品作りに共に闘ってくれたスタッフ・キャストをはじめ、関わったすべての方々、本当にありがとうございました。~今回の作品によって、優秀監督賞初受賞となった。(1961年 愛知県)
優秀賞犬童一心「眉山 -びざん-」


「眉山 -びざん-」は徳島のみなさんの協力があってこそできた作品です。きっと一緒に喜んでくれていると思います。支持していただいたみなさんに心から感謝します。~96年、「二人が喋っている」で監督デビュー、その後も多くの作品を手掛ける。また、03年の「黄泉<よみ>がえり」(塩田明彦監督)では、脚本を担当、これにより優秀脚本賞を受賞している。(1960年 東京都)
優秀賞佐藤祐市「キサラギ」


「日本アカデミー賞、受賞!?」この一報を聞いた時、思わず立ち上がってしまった。携帯片手に収録中のスタジオの椅子から…。そのくらい興奮する出来事でした。最も嬉しかったのは、作品賞が頂けた事。「キサラギ」のスタッフ・キャスト全員の苦労が報われ、全員が認められた気がした。皆喜んでくれた。アカデミー賞協会会員の皆様、本当に有難う御座いました。(1962年 東京都)
優秀賞周防正行「それでもボクはやってない」


「刑事裁判」の「現実」を伝えたい。それだけを考えていました。3年半の取材の中で出会った事件の当事者、支援者、傍聴人、弁護士、検察官、裁判官、法律の研究家、裁判関係者の皆さん。そして、リアルな裁判シーンを実現するために、緻密な準備をして下さった「それでもボクはやってない」の全てのスタッフ・キャストに、この場を借りて、心よりお礼申し上げます。(1956年 東京都)
優秀賞山崎 貴「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を作っている間は「本当の幸せ」とはどこにあるかを捜す旅をしていたような気がします。そして僕の場合、それはやっぱり映画製作の現場に有るんだなぁと再認識しました。ともすれば忘れがちになる「作品を作り続けられるという幸せ」をしっかり意識しながら、さらなる挑戦を続けていきたいと思います。選んで頂いて本当にありがとうございました。(1964年 長野県)
優秀脚本賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞松尾スズキ「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


とにかく、自分には眩しすぎる賞のようです。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」での受賞が決まった日から目の様子が変です。なので、というわけでもないですが、これもひとえにメガヒットの原作のおかげと思い、うぬぼれないよう身を引き締めます。ただ、この機会に、故郷の母が、私の作品に興味を抱いてくれたら幸いです。みなさま、ありがとうございます。(1962年 福岡県)
優秀賞宮藤官九郎「舞妓 Haaaan!!!」


えーこのたびは、「舞妓Haaaan!!!」での優秀脚本賞をありがとうございます。今回はオリジナルのコメディ作品での受賞という事で、なんだかとても嬉しいです。この作品を書かせてくれた水田監督始めスタッフ、キャストのみなさんに心から感謝します。~02年、「GO」で初受賞、翌年には「ピンポン」で2年連続の受賞となる。今回が3度目の受賞。(1970年 宮城県)
優秀賞古沢良太「キサラギ」


「キサラギ」は、ひっそり作ってささやかに公開される映画と思って作り始めたのが、思いもよらぬ評価をいただけて、驚くと同時に喜んでおります。集まってくれたすばらしいキャストの皆さんはじめすべてのスタッフと、この映画を観てくれたすべてのお客様に感謝します。(今回、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」でも受賞し、ダブル受賞となる)(1973年 神奈川県)
優秀賞周防正行「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」の始まりは、東京高裁で逆転無罪となった「痴漢事件」を伝える新聞記事でした。刑事裁判の現実を知りたくて、すぐに取材を始めましたが、分からないことや驚きの連続で、なかなか脚本が書けませんでした。主役は「裁判」。そう決めて書き始めた脚本が映画になるまで、多くの方に助けていただきました。心より感謝いたします。(1956年 東京都)
優秀賞山崎 貴/古沢良太「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


この作品に沢山の笑いと心に迫るセリフを提供してくれた古沢君に感謝します。又この場所に戻って来ることが出来たのが、素直に嬉しいです。ありがとうございました。(山崎談)続編と言う大きなハードルに挑んで、またこの賞をいただけたことはとてもうれしいです。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を選んでくれた皆さんに感謝します。(古沢談)(1964年 長野県) (1973年 神奈川県)
優秀主演男優賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞吉岡秀隆「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、売れない小説家、竜之介が他者への責任を背負い、さらなる大人の男に成長していく過程を演じている。今までどこかピュアな気質の役柄が多かったと思うが、このような、純粋さを持ちながらどこか屈折した男を表現して、人の持つ奥深い面を前作以上に醸し出した。彼が挑戦する役柄は、これから益々広がっていくだろう。(1970年 埼玉県)
優秀賞阿部サダヲ「舞妓 Haaaan!!!」


お茶屋で舞妓と遊ぶことが人生の目標だったサラリーマン、鬼塚公彦。だが、その夢が叶った時、今度は金に物を言わせたライバル内藤との戦いに突き進んで行く。 「舞妓Haaaan!!!」では、 猪突猛進型の主人公を、まるでアスリートのように身体を使って表現しながら、コミカルに、時には可愛く、一時もテンションを落とすことのない集中力で物語を駆け抜けた。(1970年 千葉県)
優秀賞オダギリ・ジョー「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


個性的な役柄が多い人であるが、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」では、オカンと2人で長い時間を過ごして来たボクの、青春時代から現在までの変化を、周囲に対しごく自然なリアクションを重ねながら、押さえた演技で表現した。特に入院したオカンに対しては、言葉にしない部分での思いが溢れ出ている。全篇に渡ってのナレーションも心に残った。(1976年 岡山県)
優秀賞加瀬 亮「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」では、痴漢に間違えられて拘束され、ついには法廷に引き出されるフリーター、徹平を演じている。彼は痴漢冤罪の被害者から真摯に話を聞き、脚本上の徹平のリアクションからその人間性を推察し、さらには共演者の演技に素直に反応するかたちで役に肉付けをして行った。そうして造型された主人公は、現実味のある人物となった。(1974年 神奈川県)
優秀賞役所広司「象の背中」


肺癌に侵され、余命半年と宣告されたサラリーマン、藤山幸弘。彼は延命治療を望まず、残された時間を大切に生きることを選択する。「象の背中」では、生を奪われることへの苦悩だけではなく、常に死と向き合っているが故に出てくる人間のユーモアや暖かさを、丁寧に、そして自然なかたちで表現している。それは、見るものに勇気を与えるような人物像であった。(1956年 長崎県)
優秀主演女優賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞樹木希林「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


遠く離れていても息子であるボクを気遣うオカン。やがて東京で一緒に暮らし始めるが、オカンには病魔が忍び寄っていた。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」では、見る人の誰もが愛しさを感じるような、無償の愛に満ちた母親を淡々と演じている。癌と戦う壮絶なシーンはリアリティに満ちており、演技者としてのこの人の凄みが改めて感じられる。(1943年 東京都)
優秀賞寺島しのぶ「愛の流刑地」


3人の子と幸せな家庭がありながら、憧れていた作家、村尾菊治との情事に溺れて行く冬香。菊治を愛するようになった冬香は、菊治に「首を絞めて」と懇願する。「愛の流刑地」では、深く愛し、愛されることで次第に変化して行く女性の心を、鋭く、そして細やかに、考え抜かれた演技によって表現している。彼女の静かな気迫が、映画を厚みのあるものにした。(1972年 京都府)
優秀賞中谷美紀「自虐の詩」


「自虐の詩」では、薄幸な人生の中、ただ一人だけ自分を愛してくれた男、乱暴者のイサオに尽くし続ける女、幸江の役に挑んだ。リアルなセットに触発されたという彼女であるが、クランクイン前には舞台である大阪に行き、衣裳にも自らアイディアを出し、万全の体勢で撮影に臨んだ。その成果があってか、画面からは、幸江の心の動きがストレートに伝わって来た。(1976年 東京都)
優秀賞仲間由紀恵「大奥」


「大奥」で演じたのは、若干28歳で大奥総取締という、才色兼備ながら身持ちの堅い女性、絵島である。彼女は高い役職にある女性としての矜持と誇りを表現しながら、初めて恋に落ち、次第に心が動いて行く絵島のうぶな可愛らしさを、匂うがごとくに醸し出している。彼女自身が持つ気品と誠実さ、そして役に肉迫して行く気概がそれを可能にしたのではないだろうか。(1979年 沖縄県)
優秀賞宮沢りえ「オリヲン座からの招待状」


京都・西陣の小さな映画館を、映写技師であった亡き亭主の弟子留吉と共に守り抜く女将、豊田トヨ。「オリヲン座からの招待状」では、たおやかながら、芯に強さを持った女性の心の揺れと秘めたる思いを、台詞はもちろん、リアクションの動き一つに至るまで、デリケートな配慮で演じている。また、彼女から感じる精神性の高さも役に生かされているように思う。(1973年 東京都)
優秀助演男優賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞小林薫「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」では、ボクの父親であるオトンを、若い時から現代に渡って演じている。タイトル通り、時々画面に出てくるオトンであるが、それぞれの場面で演じられたオトンには強いインパクトと存在感、そして、見る側が感情移入させられるような普遍性があり、次第に歳を取っていくオトンの変化に胸が揺さぶられる。(1951年 京都府)
優秀賞柄本明「やじきた道中 てれすこ」


職人の弥次郎兵衛と売れない役者の喜多八が、花魁お喜乃と共に珍道中を繰り広げる「やじきた道中 てれすこ」。一見気弱に見えながら、実はとんでもない酒乱という歌舞伎役者、喜多八を演じている。この人情溢れる喜劇では、情けない部分も含めて、さまざまな面を持つ人間の深遠な部分を、鮮やかに、時にはユーモアや怖さを交えつつ、圧倒的な存在感で見せてくれた。(1948年 東京都)
優秀賞香川照之「キサラギ」


自殺したアイドルの追悼会に集まった5人の男によって繰り広げられる密室劇「キサラギ」。このミステリータッチのコメディで演じているのは、黒スーツ姿に派手なカチューシャを着けた「イチゴ娘」であるが、 そこはかとない狂気を感じさせる怪しい男を演じて、何とも言えぬ可笑しさと、この人ならではの味わいを出している。他の4人とのアンサンブルもお見事。(1965年 東京都)
優秀賞堤真一「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


少し強引な所もあるが、思い遣り深い侠気のある男、鈴木オートの主、則文。前作の続編となる「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、則文が抱えている心の痛みも描かれている。再びこの役に挑戦した彼は、前向きでエネルギッシュな部分はそのままに、戦争がもたらした痛みを心に秘めた則文を、家族や三丁目の住人との交流を細やかに表現しつつ、力強く演じている。(1964年 兵庫県)
優秀賞堤真一「舞妓 Haaaan!!!」


熱狂的舞妓ファン、鬼塚公彦の前に立ち塞がる年俸8億円のプロ野球選手、内藤貴一郎。「舞妓Haaaan!!!」では、どこか虚無的な匂いを漂わせながら、常に公彦の前を行くクールでタフな男を演じた。彼は、演技への集中力と達者な関西弁、さらには鮮やかな動きで笑いを生み出し、公彦をリードしていく。今回は、役者として、新たな境地を開いた役ではなかったろうか。(1964年 兵庫県)
優秀助演女優賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞もたいまさこ「それでもボクはやってない」


息子に掛かった痴漢の嫌疑に戸惑う母、豊子。だが息子の冤罪を晴らすため、首から看板を下げてまで目撃者を探しに街に出る。いつも個性的な役柄を演じている彼女が、「それでもボクはやってない」では、愛情深い、だがごく普通の母親役に挑んでいる。 彼女は、この出来事によって沸き起こる様々な母親の感情を、ごくさりげない身振りによって、的確に表現した。(1952年 東京都)
優秀賞堀北真希「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


前作では集団就職で上京し、鈴木オートの家族や三丁目の住人に可愛がられる六ちゃんこと、星野六子を演じた。今回の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、少し成長し、お姉さんぽくなった役柄を、ごく自然体で演じている。けれど、そんな風に演じられるのは、修練して難しい青森弁を会得するなど、彼女がいろいろな勉強を着実に重ねて行ったからではないだろうか。(1988年 東京都)
優秀賞松たか子「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」では、ボクの恋人ミズエを演じている。彼女はどの場面にもごく自然な佇まいで存在しており、そのことが周囲との良い関係性を感じさせる。物語の最後、オカンはボクに、「彼女は本当に実の娘のようだった」という言葉を残したが、この人の演じたミズエは、その言葉がスッと胸に入ってくるような素敵な女性であった。(1977年 東京都)
優秀賞宮本信子「眉山 -びざん-」


その器の大きさと、凛とした佇まいで周囲の人望を集める「神田のお龍」こと龍子。彼女が「眉山ーびざんー」で演じたのは、強さと、そしてその裏にある細やかな感受性を合わせ持ったしなやかな女性である。だが、その龍子を成立させるには、役への深い理解力と俳優として多方面の技量が必要に違いない。映画は10年振りだそうだが、この人の魅力は増すばかりである。(1945年 北海道)
優秀賞薬師丸ひろ子「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見終わった時、心の中に何か暖かいものが残る。それが何かを考えた時、ふと浮かんでくるのが三丁目の住人達の顔であり、中でも彼女が演じたトモエの笑顔だ。内側からにじみ出てくるような慈愛に満ちた笑顔は、そう易々と出せるものではないだろう。この人は、若い時とはまた違った魅力に輝いているように思う。(1964年 東京都)
優秀音楽賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞大島ミチル「眉山 -びざん-」


「眉山 -びざん-」と言う繊細で美しい映像の作品の音楽を作曲する事が出来た事を嬉しく思うと同時に、監督や沢山のスタッフに心から感謝しております。昨年の「明日の記憶」に続く受賞である。今回の「眉山 -びざん-」では、これまで温めていたパリの演奏家との共同作業を実現し、伸びやかで優しい旋律の中にも強さを秘めた曲の数々を生み出している。(1961年 長崎県)
優秀賞上田禎「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


受賞を大変名誉に感じながら、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の映画音楽を作った人々を代表して賞を頂きます。演奏した多くの演奏家達、録音をし、出来栄えを監修した福本良一氏に改めて賛辞を送りたいと思います。監督や製作者諸氏、そして原作者の温かい激励のもと、この音楽が作られたことを想い返し、感謝の気持ちでいっぱいです。(1967年 大阪府)
優秀賞佐藤直紀「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」で、再び受賞させて頂きました事を大変光栄に思っております。今回もまた、素晴らしいスタッフの皆様、ならびに素晴らしい出演者の皆様のお陰と大変感謝致しております。これからもこの賞に甘んじる事無く、さらなる努力をする所存でございます。ありがとうございました。(1970年 千葉県)
優秀賞椎名林檎「さくらん」


母国語の芝居大好き・林檎です。この度は勿体無いご評価を下さり、有難うございます。映画に関与させて戴くこと自体、本作が初めてだったのも忘れる様な難易度でした。実花氏も、経験値の無い私によくぞ御依頼下さったものです。未だ信じ難いのと同時に大変感謝して居ります。急ぎ、精進致します。~今回「さくらん」で、見事初受賞となる。(1978年 福岡県)
優秀賞周防義和「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」では加瀬さんの最後のセリフを受けて入るエンディング曲に思い入れがあります。tomo the tomo の歌でさりげなく、しだいに弦楽でスケール感大きく作曲しました。個人の問題が人間の尊厳という普遍的次元へ拡がりたかったからです。作品に参加でき感謝しているうえに優秀賞受賞は感激です。(1953年 東京都)
優秀撮影賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞蔦井孝洋「眉山 -びざん-」


カメラマンとして劇場映画の撮影を担当するようになって11年経ちましたが、ようやく「眉山 -びざん-」でこの場所に来る事が出来ました。思い返せば一年半前、真夏の徳島での撮影。連日連夜フルマラソンしているようなきっつい日々でした。その甲斐あって、年に一度のお祭りに参加する事が出来ました。シッカリ楽しみたいです!(1964年 鳥取県)
優秀賞笠松則通「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は、スタッフ、キャスト一人一人が楽しみながら手作りで作り上げた映画だと思います。そこが評価されたとすれば嬉しい限りです。主人公と同じ様に、私自身も18歳で親もとを離れ上京し映画の道に入りました。それを後押ししてくれたのは母でした。その母に対する感謝の気持ちを 忘れずに仕事をやり続けたいです。(1957年 愛知県)
優秀賞栢野直樹「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」での周防監督のこだわりは、誇張も脚色もない日本の刑事裁判制度。とにかくリアルに描きたい、との強い意志に、覚悟だけは負けまいと撮影しました。この作品の「劇映画であり、かつリアル」はかなりの難問で、撮り得たか否か実のところ確信を持てぬままでした。でも、こうして選んでいただいたことで、少しほっとしています。(1955年 愛知県)
優秀賞木村大作「憑神」


「憑神」に参加させてもらっての東映撮影所は10年ぶりで、スタッフも前の時代は助手だった人達が名スタッフとして参加してくれた。皆さん優秀なスタッフに成長していた。これからも前進を求めて頑張っていくことを願います。~78年、日本アカデミー賞優秀技術賞受賞。今回が05年に続いて18度の受賞となるベテランである。(1939年 東京都)
優秀賞柴崎幸三「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 は大半が1作目と同じセットでの撮影でした。慣れ親しんだ場所だからこそ、1カット1カット少しでも進化した画を撮らなければ、という思いで取り組みました。続編にもかかわらず優秀賞を受賞できたのは、たくさんの、三丁目を応援して下さった皆さんのおかげだと感謝あるのみです。(1958年 栃木県)
優秀照明賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞疋田ヨシタケ「眉山 -びざん-」


「眉山 -びざん-」のクライマックスシーン「演舞場」での撮影に当り、ライトを増設して下さった関係各位の方々、電気工事をして頂いた方々、徳島で沢山の方々に本当に助けて頂き深く御礼を申し上げます。素晴らしい作品に参加でき、全てのスタッフ、キャストの皆様の努力の結果、この様な名誉ある賞を頂けた事を嬉しく思います。(1965年 大阪府)
優秀賞水野研一「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」では、オトン、オカン、ボク、それぞれの人々が丁寧に描かれており、よい映画だと思いました。照明は、炭鉱のオープンセット(過去)病院セット(現在)がストーリーの中で入り交じるため、マッチングやそれぞれのトーンの調整に苦労しました。選んで頂き感謝しています。ありがとうございました。(1951年 東京都)
優秀賞長田達也「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」では、ことごとく映画的表現を抑えることで現実の裁判を表現したいと言う演出意図に思考しながら作品に臨みました。そして日本の裁判について考えてほしいと言う監督の熱意が伝わり皆様に高い評価を戴けたことに感謝致します。~97年に周防正行監督の「Shall we ダンス?」で最優秀照明賞受賞。今回4度目の受賞。(1952年 山梨県)
優秀賞杉本崇「憑神」


優秀賞受賞本当に嬉しく思います。降旗監督、木村カメラマン始め全スタッフ、キャストの皆様、そして家族に感謝、感謝です。「憑神」はオープンセットの割合が多く、朝8時から造り込む夕景セットでの重量感表現など楽しい仕事でした。これからも光の神髄を求めて精進致します。本当にありがとうございました。(1959年 岐阜県)
優秀賞水野研一「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 は、キャスト、セットともほぼ同じなので、難しいところがありましたが、ストーリーがよく出来ていたので、よい照明が出来たと思います。アカデミーの優秀賞受賞は今年で五回目。ありがたいと思っています。選んで頂いた方々に感謝致します。ありがとうございました。~今回、ダブル受賞となった。 (1951年 東京都)
優秀美術賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞部谷京子「それでもボクはやってない」


「今回はあまり腕が振るえないかもしれませんよ」とことんリアリティを追求する監督からの最初のお言葉でした。しかし、それがなかなか大変で、ダンスの体験は出来ても塀の中に入る訳にも行かず…。多くの体験談から創作させて頂きました。裁判の傍聴もこの「それでもボクはやってない」がなければ出来ない貴重な体験でした。皆様のご協力に感謝します。(1956年 広島県)
優秀賞岩城南海子「さくらん」


プロデューサー、監督、スタッフ、多くの方々の支えと協力の元に出来上がった「さくらん」の美術です。みんなの力を評価して頂いた事を、心から嬉しく感謝致しております。華やかな廓の世界、監督の世界観を表現するに当り多くの喜びや苦しみ、発見、実験、遊びがありました。美術に付き合ってくれた助手、大道具、装飾の皆さん本当に有り難うございました。(1976年 東京都)
優秀賞上條安里「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


前回は昭和30年代の再現でしたが、今回の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 は続編ということで3分の2は前回のセットの再現でした。完璧とまではいきませんでしたが、壁のひび割れまで同じ位置、同じ形にしています。新規部分が少ないのにこの受賞、気恥ずかしいですが、前回から続くこの映画自体の力のおかげだと思います。ありがとうございました。(1962年 東京都)
優秀賞原田満生「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


皆が一丸となって創りあげた映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」でこのような素晴らしい賞を受賞し大変光栄に思います。昭和30年代から現代に至るまで、様々な背景を自然に造りこみました。その評価を頂き、美術スタッフ一同嬉しく思います。又、支えて下さった、プロデューサー、監督、スタッフ、キャスト、関係各位の皆様に感謝いたします。 (1965年 福岡県)
優秀賞吉田孝「大奥」


「大奥」はTVドラマのときから同じスタッフでいつかは映画をといわれ続け、実現された思い出深い作品です。大きなスクリーンで大奥の世界を楽しんでもらえたらと思い取り組みました。今回美術賞をいただきましたが監督はじめスタッフ、キャストの皆様のおかげです。ありがとうございます。~今回の作品で、見事初受賞となった。(1965年 大阪府)
優秀録音賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞鶴巻仁「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


この「ALWAYS続・三丁目の夕日」の全てのスタッフに感謝したいと思います。続編と言うのは作品的にも興行的にも大変難しいと思うのですが、今回それを見事に撃ち破ったのは「前作の評価を超える作品を」というスタッフの想いが一つになった結果だと思っています。前作同様、登場人物の喜怒哀楽が素直に伝わるMixを念頭に置き、音の構成をしました。(1959年 新潟県)
優秀賞阿部茂/郡弘道「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」で選ばれた事を大変光栄に思っています。チャンスをくれた皆さんに感謝します。(阿部談)現場録音を担当した阿部さん、仕上げを共にした米山さん、ご苦労さまでした。スタッフの皆様に感謝します。(郡談)インの前に病気になってしまい、阿部さん、郡さんにお世話になりきりです。受賞者の一員に加えさせて頂きすみません。(米山談)(1964年 岩手県)(1954年 長崎県)(1955年 長野県)
優秀賞柿澤潔「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」では、企画の早い段階からお話しを頂き、ぜひ参加したい映画でした。キャスト・スタッフが、ひとつひとつ時間をかけて丁寧に作り上げた作品で思いも大きく、とても嬉しい受賞で感謝いたします。ありがとうございました。~93年に録音技師となり、以後多くの監督の作品を手掛ける。今回が初受賞となった。(1958年 神奈川県)
優秀賞志満順一「眉山 -びざん-」


昨年に続き「眉山-びざん-」にて優秀賞に選ばれまして、誠に嬉しく思います。思えば2006年の真夏の徳島ロケは私にとって一生の思い出になりました、生まれて初めて生で観た阿波おどりの感動は忘れません。あの時の感動を何とか映画の音に表現できないか頑張ったつもりですので、協力してくれた徳島の皆さんに恩返しが出来た気がします。有難うございました。(1951年 東京都)
優秀賞松陰信彦「憑神」


「憑神」によって優秀録音賞に選ばれたことをとても嬉しく思います。降旗監督を始めとしてスタッフ・キャストの皆さんに感謝、特に仕上げスタッフ、録音助手さんたちにお礼を言いたいと思います。どうもありがとうございました。~昨年「男たちの大和 YAMATO」で、瀬川徹夫と共に、見事最優秀録音賞に輝いたが、それに続く受賞である。(1961年 大阪府)
優秀編集賞
(C)日本アカデミー賞協会
最優秀賞菊池純一「それでもボクはやってない」


「それでもボクはやってない」では、11年ぶりに周防正行監督と充実した編集を楽しくさせて頂きました。今回の受賞に関しては、まるで予期していなかった事なので非常に喜びが大きいです。このような社会性のある映画を作ってくれた監督に感謝します。次回作も期待しております。そして、この映画の関係者の皆様に感謝して終りにします。(1950年 北海道)
優秀賞上野聡一「眉山 -びざん-」


映画「眉山 -びざん-」は作りながら特別な存在になっていった貴重な作品でした。その「眉山 -びざん-」で編集賞をいただけるのは、この上ない大きな喜びです。ありがとうございました。~03年、「突入せよ!『あさま山荘』事件」及び「ピンポン」で初受賞。今回は昨年の三谷幸喜監督の「THE有頂天ホテル」に続き3度目の優秀賞受賞となった。(1969年広島県)
優秀賞平澤政吾「舞妓 Haaaan!!!」


「舞妓 Haaaan!!!」は“理屈抜きで観客に楽しんで貰える作品”が目標でした。編集期間はスタッフと試行錯誤・意見交換を重ね“劇場が笑いに包まれる2時間の作品”に仕上げられた至福の時でした。優秀賞の受賞は水田監督を始めスタッフ・キャストの方々に感謝致します。そして20年の編集人生を支えていただいた方々にも感謝を伝えたいです。(1965年静岡県)
優秀賞普嶋信一「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


感動した原作の映画、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」に参加出来た上に、この様な賞を頂き大変嬉しく思うと共に皆様に感謝しています。~93年、市川準監督作品の「クレープ」で編集技師となる。以来、コンスタントに様々な監督の作品を手掛けている。今回が初受賞となった。(1962年 神奈川県)
優秀賞宮島竜治「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、前作と同じスタッフ、キャストで険しくも楽しい映画づくりに参加できただけでも嬉しいのに、今回このような賞までいただき感無量です。みんなで目指した山の頂上が日本アカデミー賞の会場だと思い、そこまで応援してくれた観客のみなさんにも感謝します。ありがとうございました。(1967年 神奈川県)
優秀外国作品賞
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最優秀賞硫黄島からの手紙


太平洋戦争末期、米軍は日本の最後の砦ともいえる硫黄島をごく短期間で陥落させる予定であったが、この島には、人格識見に優れた司令官と彼を慕う将兵が知略を尽くして攻撃を待ち構えていた。クリント・イーストウッド監督は、戦争2部作を今度は日本人の視点から描き、命を賭けて義務を果たした人間への敬意を表現している。(ワーナー・ブラザース映画)
優秀賞ドリームガールズ


歌手としてのデビューを夢見る3人の黒人の少女がグループを組み、やがて彼女達はショービジネスの階段を駆上がって行く。だが大成功の後には想像もしなかった影が忍び寄っていた。1962年のデトロイトから始まる物語は傑作ミュージカルの映画化であるが、密度の濃い、映画ならではの楽しさに満ちた作品に仕上がっている。(パラマウント ピクチャーズ)
優秀賞バベル


モロッコの山間に暮らす少年の放った一発の銃弾。弾は山道を走るバスにいたアメリカ人夫婦の妻の肩を打ち抜き、その出来事は国を越えて様々な人々に波紋を広げて行く。イニャリトゥ監督は、多くの国から参加したスタッフ・キャストとのコミュニケーションを重ねながら、3大陸に跨がった複雑な物語を見事な手腕で纏め上げた。(ギャガ・コミュニケーションズ)
優秀賞ヘアスプレー


60年代のアメリカ、ボルチモア。女子高生トレーシーの夢は人気のTVショーに出演して憧れのリンクと踊ることであった。天真爛漫な彼女はその夢に向かってばく進するが、人一倍大きな身体を持つトレーシーの夢は果してかなうのか?これまで幾度も映画やミュージカルになった傑作コメディが、されにグレードアップされた。(ギャガ・コミュニケーションズ)
優秀賞ボーン・アルティメイタム


CIAの極秘プロジェクトによって洗脳され、殺人マシーンにされたジェイソン・ボーン。だがその仕掛人は事が発覚するのを恐れて刺客を放つ。殺し屋との暗闘の中、自分が何者なのかを探り続けたボーンは、ついにヒントを見つけ反撃に出た。大人気シリーズの最後を飾る本作品は、世界の都市を巡りながらスリリングに展開する。(東宝東和)
新人俳優賞
優秀賞ウエンツ瑛士「ゲゲゲの鬼太郎」


幼少のころからモデルやダンサーとして活躍、俳優としても僅か9歳の時に劇団四季のミュージカル「美女と野獣」のチップ役でデビューする。その後はTVのバラエティでも活躍し、自らの存在を世にしらしめた。映画出演2作目となる今回の「ゲゲゲの鬼太郎」では、妖怪と人間の狭間にいる「鬼太郎」を、自由闊達に演じている。(1985年 東京都)
優秀賞林遣都「バッテリー」


ベストセラー小説の映画化となる「バッテリー」の主人公、天才ピッチャーの原田巧役に3000名の中から選ばれ、映画初出演にして主役の重責を果たした。「彼の持っている雰囲気に惹かれた」と滝田監督は語っているが、確かにその存在感は、とても初めて演技をしたとは思えぬほどで、将来の大器を予感させるに十分であった。(1990年 滋賀県)
優秀賞三浦春馬「恋空」


NHK連続テレビ小説「あぐり」の正太郎役で子役デビュー後、再び朝のテレビ小説「ファイト」でヒロインに想いを寄せる岡部聖也役を好演。その後数々のドラマに出演し好評を博するが、中でも「14才の母」では、一躍人々の注目を集めた。今回の「恋空」では、激しい感情の起伏を持つ青年「ヒロ」を見事に造り上げている。(1990年 茨城県)
優秀賞新垣結衣「恋空」


2001年、雑誌「nicola」のモデルとしてデビューの後、数々のドラマやCMに次々と出演して茶の間の人気者となる。今では抜群の知名度を誇る存在となった。映画3作目にして、3本目の主演作となる「恋空」では、レイプに見舞われるなど、どんな逆境に置かれても人を愛する心を失わぬ主人公美嘉を、情感豊かに表現している。(1988年 沖縄県)
優秀賞内田也哉子「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」


2児の母であり、作家、そしてバンドのボーカルとしても活躍している才人である。今回、「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」で演じた「若い時のオカン」が、彼女にとって事実上の女優初体験となった。自分の人生を子供のために捧げて行く母親を、素直に、そして大らかに演じ、自然な存在感で強い印象を残した。(1976年 東京都)
優秀賞夏帆「天然コケッコー」


小学生の時にスカウトされ、雑誌のモデルとして活動を始める。その後はバラエティ、CM、映画、ドラマなどにも起用され次第に活動の場を広げて行った。「天然コケッコー」では、田舎の自然の中で伸びやかに成長していく少女を演じているが、持ち味の純真さが十分発揮されている。これまでの経験が活かされているに違いない。(1991年 東京都)
優秀賞北乃きい「幸福な食卓」


「ミスマガジン2005」に於いて、最年少でグランプリを受賞。それからは雑誌のみならず、ドラマやCMを始め、様々な分野で活躍し、人々の注目を集めている。映画初出演にして初主演となった「幸福な食卓」では、家族崩壊の危機と初恋という大きな出来事に直面した中学生、佐和子の心の揺れを瑞々しく演じている。(1991年 神奈川県)
協会特別賞
優秀賞柴崎憲治「音響効果」


長年に亘り音響効果ひとすじに多くの監督スタッフの期待に応えて、新たな効果音を作り出し多彩な作品を担当。映画界に大きく貢献されています。ここにその偉業を讃え、協会特別賞を授与いたします。
会長特別賞
優秀賞植木等「俳優」


戦後最大の喜劇人として、青空のような明るく快活な笑いで一世を風靡。後年はその優れた演技力で、多くの人々に元気と希望を与え続けました。ここにその偉業を讃え、会長特別賞を授与いたします。
優秀賞熊井啓「監督」


日本を代表する社会派映画の巨匠として数々の名作力作を世に送り、内外の観客に大きな勇気と感動を与えた偉大な存在でありました。ここにその偉業を讃え、会長特別賞を授与いたします。
話題賞

作品部門:「キサラギ」


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俳優部門:新垣結衣「恋空」