大村弘二(オオムラ コウジ)【美粧・床山】
1984年に、役者の化粧やヘアメイクを手掛ける東和美粧に入社。東映京都撮影所を基盤に、かつらを結い上げて役者に被せる【床山】、髪の毛を結い上げる【結髪】、化粧とかつらを担当する【美粧】の分野で、時代劇を中心とした映画制作に長年携わる。その高い技術力により現在では松竹京都撮影所の仕事も一手に担うほか、テレビドラマや配信コンテンツでも活躍。高画質な画面に耐えられるようにと要求が上がる中、伝統と技術を継承しつつ、京都の時代劇を支え続けている。近年の主な参加作品に、映画「憑神」「茶々 天涯の貴妃」(07)「火天の城」(09)「十三人の刺客」(10)「一命」「忍たま乱太郎」(11)「逆転裁判」(12)「無限の住人」(17)「散り椿」(18)「多十郎殉愛記」(19)「大河への道」(22)「レジェンド&バタフライ」(23)など。
空閑由美子(クガ ユミコ)【キャスティング】
円谷プロダクションの制作デスクのアルバイトを経て、俳優の出入りやスケジュール連絡および調整などを担当する演技事務の役割を担う。1988年にフリーとなり、初の映画「行き止まりの挽歌 ブレイクアウト」(88)に参加した後、同年に映画製作会社のプルミエ・インターナショナルに入社。光GENJI主演の「ふ・し・ぎ・なBABY」(88)で初めてキャスティングとしてクレジットされて以降、数多くの映画で同職に携わる。作品規模を問わず、常に演者が集中できる環境作りに尽力する。2007年、自身の会社ウルエを設立、後進育成も行う。主な参加映画に「ラヂオの時間」(97)「チルソクの夏」(03)「THE 有頂天ホテル」(06)「チーム・バチスタの栄光」(08)「ガマの油」(09)「スープ・オペラ」(10)「日輪の遺産」(11)「天外者」(20)「大河への道」(22)など。
百束昭幸(ヒャクソク テルユキ)【ステインベック編集機の販売・保守・点検・修理】
1975年にアメリカのデュポン社と西ドイツのステインベック社の商品を扱う商社に入社。ステインベック社のフィルム編集機の販売とメンテナンスを担当するようになる。ステインベック編集機は、画と音を一気に作業できる画期的なフィルム編集機で、市川崑、篠田正浩、伊丹十三、滝田洋二郎など数々の名監督も編集に使用。そのトラブル時には昼夜を問わず修理に駆けつけるなど名作を生む編集マンの作業を陰で支える役割も担った。1981年に代表を務める万永を設立。同社にてビデオによる映像制作、フィルム編集機を活用したフィルムのデジタル化の開発、アーカイブス事業、8K映像撮影、技術スタッフの派遣などを行う。現在も、映画編集室、国立映画アーカイブなどのフィルム保存機関、東京藝術大学などの教育機関等ほか、各所にあるステインベック編集機の保持に努めている。
村瀬継蔵(ムラセ ケイゾウ)【特殊美術造型】
東宝の特殊美術のアルバイトを経て、1958年に造形助手として「大怪獣バラン」(58)の着ぐるみ造形に参加。「モスラ」(61)「キングコング対ゴジラ」(62)「マタンゴ」(63)などの東宝特撮映画で怪獣造形に携わる。1965年の大映初の怪獣映画「大怪獣ガメラ」への参加を機に独立。1970年に開催された日本万国博覧会では“太陽の塔”の内部の生命の樹に取り付けられた恐竜の制作にも参加。1972年に造形美術会社のツエニーを設立。昭和の「ゴジラ」「ガメラ」「大魔神」「ウルトラマン」「仮面ライダー」の各シリーズなどに参加し、日本の怪獣造形の基礎を築いた一人である。そのほかの主な参加映画に、「大魔神怒る」(66)「北京原人の逆襲」(78)「帝都大戦」(89)「ゴジラVSモスラ」(92)など。また、初の原作・総監督を務める「カミノフデ~怪獣たちのいる島~」が本年公開予定。
※映画製作の現場を支える種々の職能に従事する、正賞以外のスタッフの栄誉を讃える賞。
※運営・実行委員によって構成される選考委員の合議により選考されます。