第38回日本アカデミー賞 特別賞一覧

(敬称略・50音順/会長特別賞のみ没日順)

会長特別賞

(没日順)

鈴木 晄(すずき あきら)【編集】享年85歳 4/17没

1952年宝塚映画に助監督として入社。54年日活撮影所に移り編集技師となる。以来「お月様には悪いけど」(54) から 「透光の樹」(04)まで、50年に亘り実に430本以上の編集を担当した。日本を代表する編集マンとして日本アカデミー賞最優秀賞 4度、優秀賞5度受賞。代表作は「光る女」「永遠の1/2」(共に87)「マルサの女」「海へ See you」「敦煌」(全て88)「大誘拐」(91川島章正氏と共同) 「外科室」「ミンボーの女」「おろしや国酔夢譚」(全て92)ほか多数。

鈴木則文(すずき のりぶみ)【監督】享年80歳 5/15没

1956年東映京都撮影所に助監督として入所。「大阪ど根性物語 どえらい奴」(65)で監督デビュー。74年以降東京撮影所に転じ、75年からの「トラック野郎シリーズ」10本は菅原文太の新境地を拓き、大ヒットシリーズとして日本中を席巻した。脚本を担当した「緋牡丹博徒」シリーズ(68~71)、「少林寺拳法」ほかの拳法アクションなど新しい娯楽映画の開拓に追随を許さぬ独自の才を発揮した。生涯の監督本数56本。「聖獣学園」(74)「ドカベン」(77)「文学賞殺人事件 大いなる助走」(89)など。

森田富士郎(もりた ふじお)【撮影】享年86歳 6/11没

1947年大映京都撮影所撮影部に入所。49年「幽霊列車」などで円谷英二の特撮助手を務めた後「山男の歌」(62)でデビュー。「大魔神」(66)では特殊撮影の技量を生かして本編と特撮両方の撮影を担当し、リアルな特撮を実現させた。大映のヒットシリーズ「眠狂四郎」「座頭市」(共に65~)「兵隊ヤクザ」(68~)も担当。71年大映倒産後は『映像京都』設立に参加。「蔵」(95)まで生涯作品61本。日本アカデミー賞は「伊賀忍法帳」(82)「陽暉楼」(83)で最優秀賞。「鬼龍院花子の生涯」(82)「利休」(89)など優秀賞7回。

山口淑子(やまぐち よしこ)【俳優】享年94歳 9/7没

1938年、李香蘭として満映(満州映画協会)からデビュー。「白蘭の歌」(39)「支那の夜」(40)で日本人に圧倒的人気を博し、日劇で催された[歌ふ李香蘭]には観客が押し寄せ、日劇七回り半事件として語り継がれている。「萬世流芳」(43)は中国内での中国映画として初の大ヒットとなり、中国人の人気を獲得した。戦後は、山口淑子として「暁の脱走」(50)「白夫人の妖恋」(56)「東京の休日」(58)などに出演した他、香港でも3本の映画に主演した。数奇とも言える境遇の元、女優として国を越えて圧倒的人気を博した戦前戦後の日本を代表する映画スター。

菅原文太(すがわら ぶんた)【俳優】享年81歳 11/28没

1958年新東宝入社後、松竹移籍(61)を経て67年に東映に移籍。73年に主演した「仁義なき戦い」は東映任侠路線を実録路線へと転換させた画期的作品として、「新仁義なき戦い 組長最後の日」(76)まで8作品すべてが観客に熱狂的に迎えられた。並行して75年から始まった「トラック野郎」シリーズも79年「故郷特急便」までの10作品すべてヒットを続けた。主演・助演で重ねた出演本数は230本に上る。最後の出演作は「バッテリー」(07)だが「おおかみこどもの雨と雪」(12)にも声優出演した。第3回日本アカデミー賞において「太陽を盗んだ男」で最優秀助演男優賞受賞。

高倉健氏の訃報に際し、生前ご本人より「死後の贈賞は辞退する」旨お申し出がありましたので、会長特別賞の贈賞を控えました。高倉氏の日本映画への多大な貢献に感謝申し上げると共に、前回第37回に於いて『協会栄誉賞』をお贈りできた事をせめてもの餞(はなむけ)とさせて頂き、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

協会特別賞

大坂和美(おおさか かずみ)【装飾】

1972年三船プロダクション内の『三度屋美術工房』に装飾・小道具として参加。1982年「南極物語」を佐藤結樹氏と担当し、1983年同氏と『有限会社ポパイアート』設立。以来、時代劇から現代劇まで多くの作品を担当する一方、撮影所に替わって装飾、小道具スタッフの人材育成を幅広く進め、日本映画美術の向上に貢献された功績に対して。代表作は「敦煌」(88)「おろしや国粋夢譚」(92)「スーパーの女」(96)「春の雪」(05)「桜田門外ノ変」(10)「蜩ノ記」(14)など。

曽我恒夫(そが つねお)【床山】

1981年京都映画撮影所を拠点に床山の仕事を始め、「必殺!THE HISSATSU」(84)以後、五社英雄監督、深作欣二監督、市川崑監督、山田洋次監督を始め、中田秀夫監督、山崎貴監督ら新鋭監督の時代劇作品を数多く手掛ける。現在、4Kなどの高画質撮影に対応する新たな〈かつら〉の開発に向けて、強い意欲を以て技術革新に専心している。技術の継承と発展に加えて、後進の育成に努めた功績に対して。代表作は「女殺油地獄」(92)「忠臣蔵外伝・四谷怪談」(94)「どら平太」(00)「武士の一分」(06)など。

多良政司(たら まさし)【音響技術】

1975年東京映画映像部入社。1978年合併に伴い、東宝録音センターに転籍。以来、一貫してスタジオのダビング・ポスプロ業務に従事し、モノラルからステレオ、さらにはデジタル化の変遷の中で、技術、機材導入に携わるとともに、ミキサー、スタジオエンジニア、サウンドデザイン、サウンドスーパバイザーなどを務めて、日本映画の音響の発展に寄与。後進の育成にも成果を上げた功績に対して。代表作は「連合艦隊」(81)「ゴジラVSメカゴジラ」(93)「模倣犯」(02)「スパイゾルゲ」(03)など。