第46回 日本アカデミー賞 特別賞の受賞者が、選考委員により以下の各氏に決定致しました。
3月10日(金) グランドプリンスホテル新高輪にて開催される授賞式で贈賞を行ないます。
(各項50音順)
映画製作の現場を支える種々の職能に従事する人たちの栄誉を讃えるもの
71年頃より『太陽にほえろ!』(72~86)などのテレビドラマでカースタントマンとしての仕事を開始。76年のカーアクション映画「狂った野獣」以降は映画でも活躍。84年に代表を務める有限会社スーパードライバーズを34歳で創業。様々な演出や撮影手法に対応できるアイデアと技術力が高い信頼を得ており、個人および同社でカースタントコーディネートやカースタントマンとして、500本以上の映画やテレビドラマの制作に携わる。主な参加映画に、「ゴジラVSビオランテ」(89)以降の「ゴジラ」シリーズや「20世紀少年」シリーズ(08~09)のほか、「この愛の物語」(87)「誘拐」(97)「プラチナデータ」「藁の楯 わらのたて」(13)「初恋」「罪の声」(20)「東京リベンジャーズ」(21)など。
武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業後、テレビアニメの美術や背景を務めた後、海外に渡り帰国後の69年にアニメーションの背景・美術の制作を行う有限会社アトリエロークを設立。多数のテレビアニメや映画を手掛ける。79年からのテレビアニメ『ドラえもん』では、リニューアル前の05年まで美術監督や美術設定を担当。劇場版シリーズでも第1作「映画ドラえもん のび太の恐竜」(80)から第6作「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争」(85)まで美術監督を務め、原作にはなかった美術設定を作り上げるなどシリーズ初期の設定構築に貢献した。主な参加映画に、映画「森は生きている」(80)「宇宙皇子」(89)「機関車先生」(97)「MARCO 母をたずねて三千里」(99)など。
映画好きだったことから、大学在学中にアルバイトとしてテレビドラマや映画の美術に携わる。大学卒業後、本格的にフリーの美術スタッフとしての仕事を始め、美術や装飾の助手として映画「南十字星」(82)「竜二」(83)などに参加した後、83年の相米慎二監督作品「ションベン・ライダー」「魚影の群れ」で装飾を務める。シナリオの行間を読み取り、登場人物の性格や設定に適した装飾を施す。その世界観は、監督、スタッフ、俳優を刺激し、撮影現場に映画の原動力となる“気”を与えてくれる職人としての仕事ぶりが高く評価されている。主な装飾の参加作品に「壬生義士伝」(03)「武士の一分」(06)「おくりびと」(08)「沈まぬ太陽」(09)など。
大学在学中、監督を志しバイトとして東映撮影所に入る。あるプロデューサーから「監督をやりたいのなら俳優の気持ちを知れ」とのアドバイスを受け、テレビドラマ『Gメン75'』で俳優デビューし、映画やCMに出演。その後、映画製作のスタッフとして「ひとひらの雪」(85)を皮切りに、俳優経験を活かし演技事務を務めるようになる。のちにキャスティングプロデューサーとして、多数の映画やテレビドラマを担当し、同時に夢であった監督業も97年に叶える。演技事務時代から培った俳優陣との厚い信頼により40年以上にわたって現役を貫いている。主な参加作品に、「鉄道員(ぽっぽや)」(99)、「男たちの大和/YAMATO」(05)「劔岳 点の記」(09)「孤狼の血」(18)「いのちの停車場」(21)「レジェンド&バタフライ」(23) など。
永年にわたり多大なる貢献と顕著な実績をしるした映画人に対し与えられるもの
永年にわたり映画界に多大なる貢献と顕著な実績をしるした故人に対し与えられるもの(没日順)
会長功労賞に準じる賞として、その年、顕著な興行成績をあげた作品で、独自の企画性が際立つ作品を生み出した団体・人物に与えられるもの