第45回日本アカデミー賞 特別賞受賞者について

第45回 日本アカデミー賞 特別賞の受賞者が、選考委員により以下の各氏に決定致しました。
3月11日(金) グランドプリンスホテル新高輪にて行われる授賞式で贈賞を行ないます。


(各項50音順)

協会特別賞

映画製作の現場を支える種々の職能に従事する人たちの栄誉を讃えるもの


大林恭子(おおばやし きょうこ) 【プロデューサー】

1958年、大林宣彦監督の自主映画「絵の中の少女」でヒロイン役を務めた。それ以来、大林宣彦監督を公私に亘り支え続けた。商業映画デビュー作「HOUSE ハウス」(77)から尾道3部作をはじめとする40本以上もの大林作品の製作に携わってきたが、プロデューサーとして名前がクレジットされたのは「転校生」(82)が初めて。同作は大ヒットし、大林作品に欠かせない存在となった。2016年に大林宣彦監督はがんによる余命宣告を受けたが、映画制作を続ける同監督を支え続け、再び尾道を舞台にした遺作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」(20)を完成させた。また多くの作品を通じて平和と自由を訴え続け、今もその活動を続けている。


笹竹利行(ささたけ としゆき) 【映画美術文字デザイン】

1958年東宝に入社し、美術課に配属となる。以来、字書き一筋で様々な文字を手掛ける。字書き・レタリング(映画美術文字デザイン)とは、作品画面に映る文字を書く職種で、タイトル、看板、標識、文書や書状など多岐にわたる。時代劇・現代劇問わず、蓄積された豊富な知識で多様な書体を操り、その作品の時代設定にふさわしい文字を書き続け、多くの美術スタッフからの信頼を得た。また後進の育成にも熱意を注いでいる。主な作品に、「天国と地獄」(63)「居酒屋兆治」(83)「陰陽師」(01)「ALWAYS 三丁目の夕日」(05)「母べえ」(07)「沈まぬ太陽」(09)「峠 最後のサムライ」(22)などがある。
2011年 文化庁映画賞映画功労部門受賞


月岡貞夫(つきおか さだお) 【アニメーター】

高校卒業後、手塚治虫に師事。1959年、東映動画による長編アニメーション「西遊記」(60)の制作に参加したのを機に、アニメーターとして同社に入社。作画のレベルの高さとスピードで“天才アニメーター”と呼ばれ、「わんぱく王子の大蛇退治」(63)では大塚康生とともにクライマックスシーンの作画を担当するなど、その才能を早くから開花させた。東映動画の初のテレビアニメ『狼少年ケン』(63~65)では、原作とキャラクター設計及び、初期の演出や原画までも務めた。同社退社後は様々なアニメ制作会社に参加して後進育成なども行い、NHK『みんなのうた』やCMなどでは短編アニメーション作家としても活躍。作家性と独自の発想により生み出された技術で、アニメの黎明期を支えた一人である。


会長功労賞

永年にわたり多大なる貢献と顕著な実績をしるした映画人に対し与えられるもの


草笛光子(くさぶえ みつこ)【俳優】


戸田奈津子(とだ なつこ)【映画字幕翻訳】


野上照代(のがみ てるよ)【記録・黒澤組プロダクションマネージャー】


野沢雅子(のざわ まさこ)【声優】


森 英恵(もり はなえ) 【衣裳デザイン】


山﨑 努(やまざき つとむ)【俳優】

会長特別賞

永年にわたり映画界に多大なる貢献と顕著な実績をしるした故人に対し与えられるもの(没日順)


大塚康生(おおつか やすお)【アニメーター】 3月15日没 享年 89


原 正人(はら まさと)【プロデューサー】 3月17日没 享年 89


田中邦衛(たなか くにえ)【俳優】 3月24日没 享年 88


千葉真一(ちば しんいち)【俳優】 8月19日没 享年 82


澤井信一郎(さわい しんいちろう)【監督・脚本】 9月3日没 享年 83


髙岩 淡(たかいわ たん)【東映株式会社 元代表取締役社長・製作】 10月28日没 享年 90


ワダエミ(わだ えみ)【衣装デザイン】 11月13日没 享年 84

岡田茂賞

その年、独自の創造性と高い技術により娯楽性と芸術性を合わせ持った高品質の映画を製作した[製作プロダクション]を顕彰するもの


京都アニメーション

東映アニメーション