第42回 日本アカデミー賞 特別賞一覧

第42回日本アカデミー賞特別賞関係の受賞者が、選考委員により以下の各氏に決定致しました。いずれも来年3月1日(金)グランドプリンスホテル新高輪にて行われる授賞式で、贈賞を行ないます。各賞受賞者の経歴は、以下の通りです。


(敬称略・50音順/会長特別賞のみ没日順)

協会特別賞

映画製作の現場を支える種々の職能に従事する人たちの栄誉を 讃えるもの。


大塚康生 (おおつか やすお)【アニメーター】

1956年、東映動画(現・東映アニメーション)第一期生となり、日本で初めてのカラー長編アニメーション映画「白蛇伝」(58)の動画を担当。作画監督として参加した「太陽の王子 ホルスの大冒険」(68)では演出に高畑勲を推薦し、世に出る契機を作った。“アニメーターとは演技者である”と定義してキャラクターの動きに徹底的にこだわり、テレビ『未来少年コナン』(78)、「ルパン三世 カリオストロの城」(79)、「じゃりン子チエ」(81)などでその才能を遺憾なく発揮。ダイナミックで時にコミカルなキャラクターを創出、高畑勲や宮崎駿の名作の誕生に欠くことのできない大きな役割りを果たした。日本におけるアニメーターの草分けとして現在も後進の指導育成にあたり、多くのアニメーション監督に影響を与え続けている。平成14年度文化庁長官表彰を受ける。
<代表作>
「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」(62)、「長靴をはいた猫」(69)、『ムーミン』(69~70)、「パンダコパンダ」(72)、『ガンバの冒険』(75)など


金田 正(かなだ ただし) 【映画スチールマン】

撮影現場から切り取った1カットが映画を代表する名場面として観客の記憶に残る。野村芳太郎監督作品「砂の器」(74)のポスターはスチールマンが映画に欠かせないスタッフであることを証明している。1959年松竹京都撮影所の宣伝部スチール係に配属され、60年「命との対決」でスチールマンとして撮影現場に参加。62年大船撮影所異動後も木下惠介、中村登、野村芳太郎、大島渚ら名だたる監督の現場をカメラで撮り続け、これまで携わった作品は150本を超える。山田洋次監督作品「男はつらいよ」シリーズでは、41作目「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」(89)から最新作の「男はつらいよ50 おかえり、寅さん(仮題)」までを担当している。後進の育成に努めながら今も現役として活躍し、製作から配給まで作品に携わるすべてのスタッフから高い信頼を寄せられている。平成23年度文化庁映画賞・映画功労部門受賞。
<代表作>
「帰って来たヨッパライ」(68)、「愛と死」(71)、「砂の器」(74)、「新・喜びも悲しみも幾歳月」(86)、「学校」(93)、「武士の一分」(06)、「家族はつらいよ」(16)など


櫻井 勉(さくらい つとむ)【プロデューサー】

テレビシリーズ『新藤兼人劇場』(69)、「婉という女」(71)で制作進行としてのキャリアをスタートさせ、その後で制作担当、ラインプロデューサーを経て「三本足のアロー」(80)でプロデューサーとなる。佐藤純彌、黒木和雄、降旗康男、小泉堯史など名匠から、五十嵐匠、長澤雅彦、新藤風といった若手監督まで数多くの作品を担当し、作品数は65本に及ぶ。インディペンデントの現場を知るプロデューサーとして、撮影所システムとは違う視点から合理的な製作体制の考案に努め、製作部が担う仕事の範囲と手法を確立した。監督・スタッフの要望と限られた予算、条件下での撮影を共存させ、より良い現場環境を作り出すその手腕に多くのスタッフが篤い信頼を寄せている。後進の育成にも力を注いでおり、担当作品の現場からは今日の日本映画を支える多くのプロデューサーが巣立っている。平成28年度文化庁映画賞・映画功労部門受賞。
<代表作>
「乱」(85)、「敦煌」(88)、「おろしや国粋夢譚」(92)、「失楽園」(97)、「地雷を踏んだらサヨウナラ」(99)、「博士の愛した数式」(06)、「西の魔女が死んだ」(08)「島々清しゃ」(17)など。


千代田圭介(ちよだ けいすけ)【衣裳】

1973年京都衣裳(現・東宝コスチューム)に入社し、憧れていた加藤泰監督作品「日本侠花伝」(73)に見習いとして就く。三船プロ製作の時代劇などで技術を磨き、その後第一線で数多くの作品の衣装を担当。2011年退社後の現在も精力的に仕事を続けている。綿密な調査と膨大な知識に裏付けられた時代考証を元に、時代劇・現代劇・SFを問わず、作品が求める衣装を卓越した技術で具現化させ、映画の世界を豊かに肉付けし続ける仕事ぶりは、監督をはじめすべてのスタッフ・キャストから絶大な信頼を寄せられている。今村昌平、篠田正浩、鈴木清順、小泉堯史、三谷幸喜、原田眞人、大友克洋、三池崇史、樋口真嗣などこれまで担当した監督名を連ねればその濃密で陰影に富んだ仕事ぶりがうかがえる。
<代表作>
「青春デンデケデケデケ」(92)、「カンゾー先生」(98)、「梟の城」(99)、「オペレッタ狸御殿」(05)、「デンデラ」(11)、「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」(15)、「蜩の記」(14)、「斬、」(18)など

会長功労賞

永年に渡り多大なる貢献と顕著な実績をしるした映画人に対し与えられるもの。

※歴代の日本アカデミー賞に於いて会長功労賞は「永年に渡り多大なる貢献と顕著な実績をしるし今もなお活躍されている方」に贈られて来ましたが、第40回から上記の規定で贈賞することとしました。


岡田茉莉子(おかだ まりこ)【俳優・プロデューサー】

1933年1月11日生まれ 85歳
1951年、東宝ニューフェイスの第3期として東宝演技研究所に入所。成瀬巳喜男監督の「舞姫」の準主役に抜擢されデビューし、すぐさま東宝映画の主力女優となる。「春の囁き」(52)、「吹けよ春風」(53)などの助演を経て、「芸者小夏」(54)の主演へと着実にキャリアを積む。57年にフリーに。その後松竹と専属契約を結ぶ。自身の意志を貫くスタイルで早くから作品をプロデュースするという視点を持ち、61年井上和男監督「熱愛者」、62年吉田喜重監督「秋津温泉」を手掛けた。66年に公私共にパートナーの吉田喜重監督と現代映画社を創設。吉田とは5作品を発表した。その後も強烈な印象を数多くの作品で残し、出演作は150本を超える。代表作に「浮雲」(55)、「秋日和」(60)、「秋刀魚の味」(62)、「エロス+虐殺」(70)、「人間の証明」(77)、「鏡の女たち」(03)など。
<受賞歴>
「悪女の季節」で第13回毎日映画コンクール女優助演賞。「今年の恋」「霧子の運命」第36回キネマ旬報主演女優賞。「今年の恋」「秋津温泉」で第17回毎日映画コンクール女優主演賞。第8回日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞を受賞。03年サンパウロ国際映画祭特別賞を吉田と共に受賞。


岸 惠子(きし けいこ)【俳優】

1932年8月11日生まれ 86歳
1951年に高校時代に出演した「我が家は楽し」でデビューと同時に松竹に入社。すぐさま人気を集め、「旅路」(53)、「女の園」(54)、「早春」(56)、「風花」(59)など松竹黄金期の作品を支えた。中でも53年の「君の名は」三部作は記録的な大ヒットとなり、演じた真知子は国民的なヒロインとして社会現象になった。54年に有馬稲子、久我美子とともに“文芸プロダクションにんじんくらぶ”を設立。主演した「忘れえぬ慕情Printemps a Nagasaki」(56)を機にフランスに生活の拠点を置いた。知的で大柄な美貌で幅広いヒロイン役を演じ、名だたる監督作品に数多く主演した。中でも市川崑監督作品は「おとうと」(60)、「黒い十人の女」(61)、「悪魔の手毬唄」(77)、「細雪」(83)、「かあちゃん」(01)などに出演するなど信頼関係は深い。代表作として「雪国」(57)、「怪談」(64)、「式部物語」(90)、「たそがれ清兵衛」(02)など。グローバルな活動でも知られ、文筆家、小説家としての顔を持つ。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「悪魔の手毬唄」でノミネート主演女優賞(※第3回までノミネート方式)。「かあちゃん」で第25回最優秀主演女優賞、「たそがれ清兵衛」で第26回優秀助演女優賞を受賞。04年旭日小綬章を受章。11年フランス芸術文化勲章コマンドールを受章。


佐藤純彌(さとう じゅんや)【監督・脚本】

1932年11月6日生まれ 86歳
1956年東映に入社し、東映東京撮影所で助監督としてキャリアを積む。63年に三國連太郎主演の「陸軍残虐物語」で監督デビューを果たす。東映任侠映画ブーム全盛期において「組織暴力」「実録安藤組」シリーズを次々と手掛ける。68年東映退社後は「新幹線大爆破」(75)、「君よ憤怒の河を渉れ」(76)、「人間の証明」(77)など高倉健主演の話題作でその手腕を発揮した。中国、北極、ロシア等で日本映画のスケールを超える海外ロケを敢行した超大作映画から、社会派作品、本格時代劇、SF作品に至るまで幅広い表現と演出力で40本もの作品を生み出した。代表作として「植村直己物語」(86)、「敦煌」(88)、「おろしや国酔夢譚」(92)「男たちの大和 YAMATO」(05)、「桜田門外ノ変」(10)
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「敦煌」で第12回最優秀監督賞を受賞。「植村直己物語」で第10回、「男たちの大和YAMATO」で第30回優秀監督賞を受賞。08年旭日小綬章を受章。


吉田喜重(よしだ きじゅう)【監督・脚本】

1933年2月16日生まれ 85歳
1955年松竹に入社し、大庭秀雄や木下惠介に師事。60年「ろくでなし」で監督デビュー。大島渚、篠田正浩らと共に“松竹ヌーヴェルヴァーグ”の旗手として注目を集めた。62年岡田茉莉子がプロデュースした「秋津温泉」の監督に指名される。64年松竹を退社。66年から岡田とともに設立した現代映画社で「エロス+虐殺」(70)、「戒厳令」(73)などを製作。モノクロ映像、水や鏡のモチーフなど前衛的作品としてフランスから高く評価される。70年代後半からその活動をテレビドキュメンタリーに移したものの、13年ぶりに発表した「人間の約束」(86)ではサン・セバスチャン国際映画祭貝殻賞を受賞。舞台を中世の日本に大胆に置き換えた「嵐が丘」(88)は第41回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品、「鏡の女たち」(03)は同映画祭第55回特別招待作品として上映されるなど国際的な評価が高い。代表作に「甘い夜の果て」(61)、「水で書かれた物語」(65)、「さらば夏の光」(68)、「煉獄エロイカ」(70)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「人間の約束」で第10回優秀監督賞を受賞。他に03年サンパウロ国際映画祭特別賞を岡田と共に受賞。同年フランス芸術文化勲章オフィシエ章を受章。著書『小津安二郎の反映画』では芸術選奨文部大臣賞を受賞。

会長特別賞

永年に渡り多大なる貢献と顕著な実績をしるした故人に対し与えられるもの。(2018年没日順)


高畑 勲(たかはた いさお)【アニメーション監督】

4月5日没 享年82
1959年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社。テレビアニメ『狼少年ケン』(63~65)で演出デビュー。68年「太陽の王子 ホルスの大冒険」で長編アニメーション映画の初監督を務めた。『アルプスの少女ハイジ』(74)、『母を訪ねて三千里』(76)をはじめとした名作テレビシリーズを手掛ける。85年に宮崎駿とスタジオジブリ設立に参加。以降「火垂るの墓」(88)、「おもひでぽろぽろ」(91)などテーマ性の深い原作を叙情豊かに描き、幅広い称賛を受ける。宮崎駿作品ではプロデューサーも務めた。プレスコ方式で役者の声を存分に生かした制作、妥協を許さない絵の動きは日本のアニメーション作品の芸術性を高め、国内外から高い評価を受ける。代表作に「じゃりン子チエ」(81)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(94)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(99)、「かぐや姫の物語」(13)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「かぐや姫の物語」(13)で第37回優秀アニメーション作品賞を受賞。98年紫綬褒章、09年ロカルノ国際映画祭名誉豹賞、14年アヌシー国際アニメーション映画祭“名誉賞”、15年にフランス芸術文化勲章オフィシェ章、アニー賞主催の国際アニメ映画協会の功労賞ひとつ“ウィンザー・マッケイ賞”を受賞。


星 由里子(ほし ゆりこ)【俳優】

5月16日没 享年74
1958年東宝が募集したミス・シンデレラ娘で優勝し、59年に映画「すずかけの散歩道」で銀幕デビューする。明るく活発なキャラクターは東宝カラーと見事にマツチし、数多くの作品にヒロインとして映画全盛期の東宝になくてはならない存在となった。特に61年「大学の若大将」から始まる「若大将シリーズ」の澄子役は人気を博し、「世界大戦争」(61)、「モスラ対ゴジラ」(64)など東宝特撮映画でもヒロインも数多く務めファンを喜ばせた。清楚さと活発な現代性を併せ持った魅力は成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純らの作品でも発揮された。最新作は19公開予定の「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」。代表作に「妻として女として」(61)、「戦国野郎」(63)、「千曲川絶唱」(67)など。テレビ、演劇界でも幅広く活躍し、02年第28回菊田一夫演劇賞受賞。
<受賞歴>
「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」(96)で第20回優秀助演女優賞。06年より5年間、協会役員としてプレゼンターを務め、授賞式を盛り立てた。


津川雅彦(つがわ まさひこ)【監督・俳優】

8月4日没 享年78
父は俳優の沢村国太郎、母は女優マキノ智子、祖父はマキノ省三という芸能一家に生まれる。16歳で「狂った果実」(56)で本格的に映画デビュー。美男スターとして青春映画に欠かせない存在となった。72年から放送開始された『必殺シリーズ』の悪役で新境地を拓く。80年以降は「お葬式」(84)、「マルサの女」(87)など伊丹十三監督作品の常連となり独特の存在感を放った。主役から脇役、二枚目から悪役まで縦横無尽に作品を行き来し、近年まで精力的に活動。代表作に「マノン」(81)、「ひとひらの雪」(85)、「別れぬ理由」(87)「集団左遷」(94)、「0.5ミリ」(14)などがある。また、06年「寝ずの番」で祖父の姓を冠した“マキノ雅彦”名で監督としてもデビュー。ほか「次郎長三国志」(08)、「旭山動物物語 ペンギンが空をとぶ」(09)を手掛けた。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は最優秀助演男優賞を第11回「マルサの女」「夜汽車」で受賞。優秀主演男優賞は第11回「別れぬ理由」、第16回「墨東綺譚」、第22回「プライド 運命の瞬間」で3度受賞。優秀助演男優賞は第9回「ひとひらの雪」、第18回「集団左遷」で受賞している。14年旭日小綬章受章。


樹木希林(きき きりん)【俳優】

9月15日没 享年75
1961年に文学座に入り“悠木千帆”名で俳優活動を始め、テレビドラマ『時間ですよ』(70~75)や独創的なCMでお茶の間の話題を集める。77年に樹木希林へ改名。独自の着想と造形力によって役柄に陰影をもたらし、多くの監督から出演を望まれる。近年は自身の病と向き合いながらも積極的に映画出演を続け、その出演作すべてが話題となるほどの注目の中、演技者として稀有な存在感を強めていた。是枝裕和監督を始め、多くのスタッフ・キャストに与えた影響も計り知れない。本年「モリのいる場所」を皮切りに出演作は3本にのぼり、19年は自身が企画した「エリカ38」の公開を控え生涯現役であった。映画の代表作として「はなれ瞽女おりん」(77)、「夢千代日記」(85)、「半落ち」(04)、「あん」(15)「万引き家族」(18)「日日是好日」(18)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は最優秀主演女優賞を第31回に「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、第36回「わが母の記」で受賞。これまで日本アカデミー賞授賞式の司会を2回務める。また、最優秀助演女優賞を第34回「悪人」で受賞。優秀助演女優賞は第9回「夢千代日記」で受賞以来、最多となる8回受賞している。 08年に紫綬褒章、14年旭日小綬章を受章。


吉田貞次(よしだ さだじ)【撮影】

10月28日没 享年100
1936年マキノ・トーキー社に入社後、翌年日活京都撮影所へ。42年満州映画協会(満映)、関東報道隊に参加。引き揚げ後の47年に東映京都撮影所に入社。53年に中川信夫監督の「江戸の花道」でカメラマンデビュー。内田吐夢監督の「宮本武蔵 二刀流開眼」(63)をはじめとする宮本武蔵5部作、マキノ雅弘監督の「月形半平太」(61)、「日本侠客伝 関東篇」(65)、五社英雄監督の「丹下左膳 飛燕居合斬り」(66)など、名匠巨匠と共に東映京都撮影所黄金期の時代劇映画を作り上げた。73年深作欣二監督の「仁義なき戦い」では手持ち撮影による大胆なカメラワークで、かつてないやくざ映画の誕生に大きく貢献した。シリーズとなり、後に日本映画のエポックと賞された「仁義なき戦い」のすべての撮影を担当、20年65本の撮影人生の集大成となった。ほかに代表作として「暴れん坊街道」(57)、「恋山彦」(59)、「妖刀物語 花の吉原百人斬り」(60)、「宮本武蔵」(64~65)、「十一人の侍」(67) 、「博奕打ち いのち札」(71)など。


黒澤 満(くろさわ みつる)【プロデューサー】

11月30日没 享年85
1955年日活に入社し、劇場、宣伝、日活撮影所製作部長を経て73年撮影所長に就任。71年から始まった日活ロマンポルノで若手監督を続々とデビューさせ、ブームを作り出す。東映・岡田茂社長にその製作手腕を見込まれ、76年東映に迎えられ、80年株式会社セントラル・アーツ誕生とともに代表に就任。以降、アクションから文芸大作まで多様な作品の製作を続ける。「遊戯シリーズ」(78~79)、「野獣死すべし」(80)の松田優作、『あぶない刑事』シリーズ(NTV/86~87)の館ひろし、「ビー・バップ・ハイスクール」(85)の仲村トオルなど手掛けた作品をきっかけに飛躍した俳優も数多い。周南「絆」映画祭において第4回から増設された脚本賞の松田優作賞を審査から企画監修までおこない、第一回受賞作「百円の恋」(14)をヒットに導くなど製作者として一貫して若手監督、スタッフに機会を与え続けた。プロデュース作品数は本年公開の「終わった人」まで300本を超える。代表作は「Wの悲劇」(84)、「それから」(85)、「時雨の記」(98)、「北のカナリアたち」(12)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「あぶない刑事」「ビー・バップ・ハイスクール」の企画に対して第12回協会特別賞企画賞を、株式会社セントラル・アーツが第36回岡田茂賞を受賞。07年に第5回文化庁映画賞映画功労表彰部門、11年に第20回日本映画プロフェッショナル大賞特別賞、13年に第59回「映画の日」特別功労章、第67回毎日映画コンクール特別賞、18年第23回新藤兼人賞において日本映画製作者協会・特別賞を受賞。


~追 悼~

第40回授賞式より、会長功労賞を「永年にわたり多大なる貢献と顕著な実績をしるした映画人に対し与えられるもの」として表彰を始めました。このことにより、会長功労賞受賞者には同じ主旨で「逝去された映画人」に贈る会長特別賞を贈賞することは致しません。

2018年に逝去された特別賞受賞者の皆様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。


沢島 忠(さわしま ただし)【監督】1月27日没 享年91 第40回特別賞 詳細はこちら

木下忠司(きのした ちゅうじ)【音楽】4月30日没 享年102 第40回会長功労賞 詳細はこちら

橋本 忍(はしもと しのぶ)【脚本・製作・監督】7月19日没 享年100 第40回会長功労賞 詳細はこちら

~特別追悼~

流 政之(ながれ まさゆき)【彫刻家】7月7日没 享年95 第25回協会感謝状
日本アカデミー賞協会創設メンバーであり、79年に日本アカデミー賞の分身かつ象徴である「映画神像」を制作寄贈。第1回授賞式より受賞者に贈られている「最優秀賞・優秀賞ブロンズ」も先生の手によるものです。「映画神像」は86年より有楽町マリオンに恒久展示され、03年には新たに「映画神像 北海道」が札幌シネマフロンティアに、11年には「映画神像 九州」がT・ジョイ博多に制作設置されました。「映画神像」は毎年授賞式に会場舞台に移動設営され、その年の受賞者たちを温かく迎えています。

巨大な御影石を使い、自然と融合し圧倒的かつ存在感のある作品群は、政界各国の美術館に収蔵、展示。唯一無二の彫刻家としてその名を知らしめた。