高畑 勲(たかはた いさお)【アニメーション監督】
4月5日没 享年82
1959年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社。テレビアニメ『狼少年ケン』(63~65)で演出デビュー。68年「太陽の王子 ホルスの大冒険」で長編アニメーション映画の初監督を務めた。『アルプスの少女ハイジ』(74)、『母を訪ねて三千里』(76)をはじめとした名作テレビシリーズを手掛ける。85年に宮崎駿とスタジオジブリ設立に参加。以降「火垂るの墓」(88)、「おもひでぽろぽろ」(91)などテーマ性の深い原作を叙情豊かに描き、幅広い称賛を受ける。宮崎駿作品ではプロデューサーも務めた。プレスコ方式で役者の声を存分に生かした制作、妥協を許さない絵の動きは日本のアニメーション作品の芸術性を高め、国内外から高い評価を受ける。代表作に「じゃりン子チエ」(81)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(94)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(99)、「かぐや姫の物語」(13)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「かぐや姫の物語」(13)で第37回優秀アニメーション作品賞を受賞。98年紫綬褒章、09年ロカルノ国際映画祭名誉豹賞、14年アヌシー国際アニメーション映画祭“名誉賞”、15年にフランス芸術文化勲章オフィシェ章、アニー賞主催の国際アニメ映画協会の功労賞ひとつ“ウィンザー・マッケイ賞”を受賞。
星 由里子(ほし ゆりこ)【俳優】
5月16日没 享年74
1958年東宝が募集したミス・シンデレラ娘で優勝し、59年に映画「すずかけの散歩道」で銀幕デビューする。明るく活発なキャラクターは東宝カラーと見事にマツチし、数多くの作品にヒロインとして映画全盛期の東宝になくてはならない存在となった。特に61年「大学の若大将」から始まる「若大将シリーズ」の澄子役は人気を博し、「世界大戦争」(61)、「モスラ対ゴジラ」(64)など東宝特撮映画でもヒロインも数多く務めファンを喜ばせた。清楚さと活発な現代性を併せ持った魅力は成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純らの作品でも発揮された。最新作は19公開予定の「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」。代表作に「妻として女として」(61)、「戦国野郎」(63)、「千曲川絶唱」(67)など。テレビ、演劇界でも幅広く活躍し、02年第28回菊田一夫演劇賞受賞。
<受賞歴>
「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」(96)で第20回優秀助演女優賞。06年より5年間、協会役員としてプレゼンターを務め、授賞式を盛り立てた。
津川雅彦(つがわ まさひこ)【監督・俳優】
8月4日没 享年78
父は俳優の沢村国太郎、母は女優マキノ智子、祖父はマキノ省三という芸能一家に生まれる。16歳で「狂った果実」(56)で本格的に映画デビュー。美男スターとして青春映画に欠かせない存在となった。72年から放送開始された『必殺シリーズ』の悪役で新境地を拓く。80年以降は「お葬式」(84)、「マルサの女」(87)など伊丹十三監督作品の常連となり独特の存在感を放った。主役から脇役、二枚目から悪役まで縦横無尽に作品を行き来し、近年まで精力的に活動。代表作に「マノン」(81)、「ひとひらの雪」(85)、「別れぬ理由」(87)「集団左遷」(94)、「0.5ミリ」(14)などがある。また、06年「寝ずの番」で祖父の姓を冠した“マキノ雅彦”名で監督としてもデビュー。ほか「次郎長三国志」(08)、「旭山動物物語 ペンギンが空をとぶ」(09)を手掛けた。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は最優秀助演男優賞を第11回「マルサの女」「夜汽車」で受賞。優秀主演男優賞は第11回「別れぬ理由」、第16回「墨東綺譚」、第22回「プライド 運命の瞬間」で3度受賞。優秀助演男優賞は第9回「ひとひらの雪」、第18回「集団左遷」で受賞している。14年旭日小綬章受章。
樹木希林(きき きりん)【俳優】
9月15日没 享年75
1961年に文学座に入り“悠木千帆”名で俳優活動を始め、テレビドラマ『時間ですよ』(70~75)や独創的なCMでお茶の間の話題を集める。77年に樹木希林へ改名。独自の着想と造形力によって役柄に陰影をもたらし、多くの監督から出演を望まれる。近年は自身の病と向き合いながらも積極的に映画出演を続け、その出演作すべてが話題となるほどの注目の中、演技者として稀有な存在感を強めていた。是枝裕和監督を始め、多くのスタッフ・キャストに与えた影響も計り知れない。本年「モリのいる場所」を皮切りに出演作は3本にのぼり、19年は自身が企画した「エリカ38」の公開を控え生涯現役であった。映画の代表作として「はなれ瞽女おりん」(77)、「夢千代日記」(85)、「半落ち」(04)、「あん」(15)「万引き家族」(18)「日日是好日」(18)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は最優秀主演女優賞を第31回に「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、第36回「わが母の記」で受賞。これまで日本アカデミー賞授賞式の司会を2回務める。また、最優秀助演女優賞を第34回「悪人」で受賞。優秀助演女優賞は第9回「夢千代日記」で受賞以来、最多となる8回受賞している。08年に紫綬褒章、14年旭日小綬章を受章。
吉田貞次(よしだ さだじ)【撮影】
10月28日没 享年100
1936年マキノ・トーキー社に入社後、翌年日活京都撮影所へ。42年満州映画協会(満映)、関東報道隊に参加。引き揚げ後の47年に東映京都撮影所に入社。53年に中川信夫監督の「江戸の花道」でカメラマンデビュー。内田吐夢監督の「宮本武蔵 二刀流開眼」(63)をはじめとする宮本武蔵5部作、マキノ雅弘監督の「月形半平太」(61)、「日本侠客伝 関東篇」(65)、五社英雄監督の「丹下左膳 飛燕居合斬り」(66)など、名匠巨匠と共に東映京都撮影所黄金期の時代劇映画を作り上げた。73年深作欣二監督の「仁義なき戦い」では手持ち撮影による大胆なカメラワークで、かつてないやくざ映画の誕生に大きく貢献した。シリーズとなり、後に日本映画のエポックと賞された「仁義なき戦い」のすべての撮影を担当、20年65本の撮影人生の集大成となった。ほかに代表作として「暴れん坊街道」(57)、「恋山彦」(59)、「妖刀物語 花の吉原百人斬り」(60)、「宮本武蔵」(64~65)、「十一人の侍」(67) 、「博奕打ち いのち札」(71)など。
黒澤 満(くろさわ みつる)【プロデューサー】
11月30日没 享年85
1955年日活に入社し、劇場、宣伝、日活撮影所製作部長を経て73年撮影所長に就任。71年から始まった日活ロマンポルノで若手監督を続々とデビューさせ、ブームを作り出す。東映・岡田茂社長にその製作手腕を見込まれ、76年東映に迎えられ、80年株式会社セントラル・アーツ誕生とともに代表に就任。以降、アクションから文芸大作まで多様な作品の製作を続ける。「遊戯シリーズ」(78~79)、「野獣死すべし」(80)の松田優作、『あぶない刑事』シリーズ(NTV/86~87)の館ひろし、「ビー・バップ・ハイスクール」(85)の仲村トオルなど手掛けた作品をきっかけに飛躍した俳優も数多い。周南「絆」映画祭において第4回から増設された脚本賞の松田優作賞を審査から企画監修までおこない、第一回受賞作「百円の恋」(14)をヒットに導くなど製作者として一貫して若手監督、スタッフに機会を与え続けた。プロデュース作品数は本年公開の「終わった人」まで300本を超える。代表作は「Wの悲劇」(84)、「それから」(85)、「時雨の記」(98)、「北のカナリアたち」(12)など。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は「あぶない刑事」「ビー・バップ・ハイスクール」の企画に対して第12回協会特別賞企画賞を、株式会社セントラル・アーツが第36回岡田茂賞を受賞。07年に第5回文化庁映画賞映画功労表彰部門、11年に第20回日本映画プロフェッショナル大賞特別賞、13年に第59回「映画の日」特別功労章、第67回毎日映画コンクール特別賞、18年第23回新藤兼人賞において日本映画製作者協会・特別賞を受賞。