香川京子(かがわ きょうこ)【俳優】
1931年12月5日生まれ 86歳
1949年「ニューフェイス・ノミネーション」に合格、新東宝に入社する。50年「窓から飛び出せ」でデビュー。五社協定〈※〉前にフリーとなり、日本映画黄金時代に名だたる監督たちの作品へ次々と出演し、高い評価を得た。近作「天使のいる図書館」(17)まで出演作は210本を超える。代表作に「ひめゆりの塔」「東京物語」(共に53)、「近松物語」(54)、「猫と庄造と二人のをんな」(56)、「女殺し油地獄」(57)、「杏っ子」(58)、「早乙女家の娘たち」(62)、「天国と地獄」(63)など。11年には映画遺産の保存活動に貢献した人物を表彰するFIAF賞(国際フィルム・アーカイヴ連盟賞)を日本人で初めて受賞した。
<受賞歴>
「翼は心につけて」で第2回日本アカデミー賞ノミネート助演女優賞。(※3回までノミネート方式)、「式部物語」で日本アカデミー賞第14回優秀助演女優賞、第64回キネマ旬報映画賞助演女優賞。「まあだだよ」では第17回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、第48回毎日映画コンクール“田中絹代賞”、第36回ブルーリボン賞助演女優賞。第26回川喜多賞、98年紫綬褒章、04年旭日小綬章。
※五社協定…映画会社5社(松竹・東宝・大映・新東宝・東映)が1953年に調印した専属監督・俳優らに関する協定
川又 昻(かわまた たかし)【撮影】
1926年7月3日生まれ 91歳
1945年松竹に入社。大船撮影所で小津安二郎監督作品の撮影助手を経て、59年「明日の太陽」で33才の若さで撮影監督となる。大島渚や野村芳太郎監督を始めとして100本に及ぶ作品を手掛ける。代表作に「青春残酷物語」(60)、「拝啓天皇陛下様」(63)、「砂の器」(74)、「八つ墓村」(77)などがある。近年は撮影助手として携わった「東京物語」「秋刀魚の味」など小津安二郎監督作品のデジタル修復作業に心血を注ぎ、それらの作品はベルリンやカンヌ国際映画祭で上映され話題となる。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は5度受賞しており、「事件」「鬼畜」で第2回最優秀技術賞、「黒い雨」で第13回最優秀撮影賞を受賞。優秀賞は第4回「震える舌」「わるいやつら」、第6回「疑惑」「道頓堀川」で受賞。第3回ノミネート撮影賞「配達されない三通の手紙」で受賞。(※第3回までノミネート方式)第33回毎日映画コンクールでは「事件」「鬼畜」で撮影賞を受賞している。
篠田正浩(しのだ まさひろ)【監督】
1931年3月9日生まれ 86歳
1953年松竹入社、60年「恋の片道切符」で監督デビュー。“松竹ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手と呼ばれた。66年独立し、翌67年に独立プロダクション表現社を設立。以来、「スパイ・ゾルゲ」(03)まで33作品を監督する。代表作に「心中天網島」(69)、「はなれ瞽女おりん」(77)、「瀬戸内少年野球団」(84)などがある。86年「鑓の権三」で第36回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、「沈黙 SILENCE」(71)や他2作品でカンヌ国際映画祭コンペティション部門に3度選出されるなど国際的にも高い評価を得る。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は優秀監督賞を6度受賞。「少年時代」で第14回最優秀監督賞と最優秀作品賞を受賞。また同作では第33回ブルーリボン賞作品賞・監督賞、第45回毎日映画コンクール作品賞を受賞。他に「心中天網島」では第24回毎日映画コンクール日本映画大賞、第43回キネマ旬報ベスト・テン日本映画1位と日本映画監督賞を受賞。「沈黙 SILENCE」で第26回毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞を受賞。
紅谷愃一(べにたに けんいち)【録音】
1931年6月7日生まれ 86歳
1949年大映京都撮影所に入所、54年に日活に移籍した。65年「三匹の野良犬」で録音技師に昇進する。今村昌平、黒澤明、降旗康男など名だたる監督作品を支え、「育子への手紙」(10)まで担当作品は120本を超える。代表作に「神々の深き欲望」(68)、「栄光への5000キロ」(69)など。2008年より日本映画・テレビ録音協会の理事長を6年間務め、録音界の技術継承とデジタル時代への新たな取り組みに道筋を開き、後進の育成に尽力した。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は優秀録音賞を17度受賞(※ノミネート含む ※同回複数受賞の場合1度と数える)、うち最優秀賞を第4回「復活の日」、第6回「海峡」「セーラー服と機関銃」、第7回「楢山節考」「居酒屋兆治」、第15回「八月の狂詩曲(ラプソディー)」、第23回「鉄道員(ぽっぽや)」で5度受賞している。毎日映画コンクールでは第23回「黒部の太陽」、第35回「復活の日」、第38回「楢山節考」で録音賞を3度受賞。10年旭日小綬章。
舛田利雄(ますだ としお)【監督】
1927年10月5日生まれ 90歳
1949年新東宝シナリオ塾に入塾し、翌年入社する。井上梅次監督らの助監督を務めた後、54年に日活に移籍。29才の若さで「心と肉体の旅」(58)で監督デビュー、「赤いハンカチ」(64)「紅の流れ星」(67)など日活アクション映画の全盛時代を築く。「トラ・トラ・トラ!」(68)以降フリーとなり、超大作映画から「ハイティーン・ブギ」(82)等のアイドル映画、「片翼だけの天使」(86)等の娯楽映画をヒットメーカーとして各映画会社で撮り続ける。プログラムピクチャーの制約の内で自身の演出力と腕力を発揮し、全監督作品82本を通して職人中の職人と呼ばれる。
<受賞歴>
日本アカデミー賞優秀監督賞は第4回「二百三高地」、第13回「社葬」で受賞。「社葬」では他に第44回毎日映画コンクール、第32回ブルーリボン賞、第14回報知映画賞で監督賞を受賞。91年牧野省三賞、93年紫綬褒章、99年勲四等旭日小綬章。
山本富士子(やまもと ふじこ)【俳優】
1931年12月11日生まれ 86歳
1950年第一回ミス日本に選ばれる。その3年後、映画各社争奪戦の末に大映に入社。後、早々「近世名勝負物語 花の講道館」(53)でデビュー。五社協定の規制がある中にもかかわらず、市川崑、小津安二郎、豊田四郎など錚々たる監督から、会社間の垣根を越え出演依頼が相次いだ。63年フリーを宣言、その後、活躍の場をテレビ・舞台へと移したが10年間の映画出演作は100本を超える。01年紫綬褒章を受章。代表作に「夜の河」(56)、「彼岸花」「白鷺」(58)、「濹東綺譚」(60)、「黒い十人の女」(61)などがある。
<受賞歴>
「彼岸花」「白鷺」(共に58)で第9回ブルーリボン賞主演女優賞、「女経」「濹東綺譚」(共に60)で第34回キネマ旬報賞主演女優賞、NHK日本映画最優秀主演女優賞(61)を受賞。