第40回日本アカデミー賞 特別賞一覧

第40回日本アカデミー賞の特別賞選考委員会が11月30日(水)に開かれ、以下のみなさまが各賞に決定いたしました。正賞15部門および新人俳優賞は、来年1月16日(月)に行う予定の記者会見で発表し、いずれも3月3日(金)グランドプリンスホテル新高輪にて行われる授賞式で、贈賞を行ないます。


(敬称略・50音順/会長特別賞のみ没日順)

会長功労賞

永年に渡り多大なる貢献と顕著な実績をしるした映画人に対し与えられるもの。

※歴代の日本アカデミー賞に於いて会長功労賞は「永年に渡り多大なる貢献と顕著な実績をしるし今もなお活躍されている方」に贈られて来ましたが、今回から上記の規定で贈賞することとしました。


木下忠司【音楽】

1916年4月9日生まれ
戦後日本映画の黄金時代を質量ともに支えた。1946年の第一回作品「わが恋せし乙女」以降、兄である木下惠介監督作品は「お嬢さん乾杯」(49)「カルメン故郷に帰る」(51)「二十四の瞳」(54)から最後の「父」(88)まですべての音楽を担当した。480本を超える作品には川島雄三監督「とんかつ大将」(52)、野村芳太郎監督「伊豆の踊子」(54)、小林正樹監督「人間の條件<第1~6部>」(59~61)に始まり山田洋次監督「なつかしい風来坊」(66)へと至る松竹の流れに加え、日本初の長編カラーアニメ「白蛇伝」(58)「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」(66)「日本侠客伝 花と龍」(69)「トラック野郎シリーズ」(75~79)など多彩を極める。
<受賞歴>
第9回毎日映画コンクール音楽賞「女の園」「この広い空のどこかに」(共に54)

京マチ子【俳優】

1924年3月25日生まれ
1949年大映に入社。「羅生門」(50)がヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、米アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)、「地獄門」(53)がカンヌ国際映画祭パルム・ドール、米アカデミー賞名誉賞など、主演作品が多くの海外映画祭でグランプリを受賞した。出演作品は100本に迫る。その他の主な作品に「雨月物語」「あにいもうと」(53)「夜の蝶」(57)「鍵」(59)「他人の顔」(66)「華麗なる一族」(74)「化粧」(84)。
<受賞歴>
「羅生門」(50)「偽れる盛装」(51)で第5回毎日映画コンクール女優演技賞。「甘い汗」(64) 第38回キネマ旬報賞 第19回毎日映画コンクール女優主演賞

鈴木清順【監督】

1923年5月24日生まれ
1948年松竹入社、1954年日活移籍。「港の乾杯 勝利をわが手に」(56)で監督デビュー。「野獣の青春」(63)「東京流れ者」「けんかえれじい」(66)「殺しの烙印」(67)など40本を監督する。67年日活退社後の「ツィゴイネルワイゼン」(80)は製作・興行一体のシネマプラセット方式の公開が大きな話題を呼んだ。その後の主な作品として「陽炎座」(81)「夢二」(91)「オペレッタ狸御殿」(2005)。
<受賞歴>
「ツィゴイネルワイゼン」キネマ旬報ベストテン1位 第23回ブルーリボン賞監督賞 第4回日本アカデミー賞最優秀監督賞 第31回ベルリン国際映画祭審査員特別賞

西岡善信【美術】

1922年7月8日生まれ
1952年「天保水滸伝 利根の火祭」で美術デザイナーを務めて以来、100本を超える大映作品を担当する。1972年「映像京都」を設立し、時代劇の美術監督、プロデューサーの第一人者として40年を越えて活躍する。主な作品に「炎上」(58)「刺青」(66)「股旅」(73)「極道の妻たち」(86)「利休」(89)「大誘拐」(91)「御法度」(99)などがある。
<受賞歴>
「越前竹人形」「雪之丞変化」(63) 第18回毎日映画コンクール美術賞、日本アカデミー賞 最優秀美術賞に第6回「鬼龍院花子の生涯」「怪異談 生きてゐる小平次」(82) 第16回「女殺油地獄」「豪姫」(92)など。優秀賞22回、内最優秀賞10回

橋本 忍【脚本・製作・監督】

1918年4月18日生まれ
1950年黒澤明監督「羅生門」で脚本家デビュー。以来「生きる」(52)「七人の侍」(54)など8本の黒澤作品の脚本を担う。他、代表作は「張込み」(58) 「切腹」(62) 「白い巨塔」(66) 「日本のいちばん長い日」(67) 「日本沈没」(73)など。作品数は74本に及ぶ。73年橋本プロダクションを設立し、脚本のみならず製作者として「砂の器」(74)「八甲田山」(77)を大ヒットに導く。監督作品「私は貝になりたい」(59)「幻の湖」(82)。
<受賞歴>
ブルーリボン脚本賞「羅生門」(50) 他1回、毎日映画コンクール脚本賞 「生きる」(52) 他4回、第1回日本アカデミー賞 脚本賞ノミネート 「八甲田山」「八つ墓村」

八千草薫【俳優】

1931年1月6日生まれ
1947年宝塚歌劇団に入団、娘役として一世を風靡した。57年の退団までに「虞美人」(51)「宮本武蔵」(54) 「蝶々夫人」(55) 「白夫人の妖恋」(56)など大作映画に出演する。退団後のおもな作品「ガス人間第一号」(60) 「男はつらいよ 寅次郎夢枕」(72)。近作「ゆずり葉の頃」(2015)でも主演を務めるなど映画出演作は80本に迫る。
<受賞歴>
「阿修羅のごとく」(03) で第16回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞 第27回日本アカデミー賞優秀助演女優賞 第58回毎日映画コンクール「田中絹代賞」、「ディア・ドクター」(09) 第64回毎日映画コンクール女優助演賞 第34回報知映画賞助演女優賞 第33回山路ふみ子映画功労賞

第40回特別賞

永年に渡る映画界への功績に対し与えられるもの。

※第40回特別賞は会長功労賞に準じる賞として、区切りの周年である第40回に限り贈られます


池広一夫【監督】

1929年10月25日生まれ
1950年大映京都撮影所入所。60年「薔薇大名」でデビュー以来、「化粧」(84)まで42本を監督した。市川雷蔵の指名で「沓掛時次郎」(61)を監督、新しい股旅映画として評価された。「眠狂四郎女妖剣」(64)の円月殺法の描写にストロボ撮影を用いて作品の魅力を視覚効果によって高めると共に、シリーズの基本路線を確立した。
<代表作>
「天下あやつり組」(61)「座頭市シリーズ」(64~66)「無宿人御子神の丈吉 三部作」(72.73)。大映時代劇の黄金時代を代表する監督。

沢島 忠【監督】

1926年5月19日生まれ
1950年東横映画入社。51年以降東映京都撮影所所属。「忍術御前試合」(57)で監督デビュー以来、美空ひばりの最後の主演映画「女の花道」(71)まで、時代劇にミュージカルを融合させたモダンな演出で東映時代劇を支え、完成度の高いスター映画をシリーズ化させる。中でも中村錦之介作品は「一心太助 天下の一大事」(58)を始め、熱狂的ファンを獲得した。
<代表作>
「ひばり捕物帖 かんざし小判」(58) 「殿さま弥次喜多 捕物道中」(59)「右門捕物帖 片目の狼」(59)「人生劇場 飛車角」(63)。

萩原憲治【撮影】

1929年2月16日生まれ
1950年大映撮影所撮影課入社。54年日活撮影所移籍。61年「天に代わりて不義を討つ」でカメラマンデビュー。
<代表作>
「愛と死をみつめて」(64)「けんかえれじい」(66)「嵐を呼ぶ男」(66)「八月の濡れた砂」(71)「伊豆の踊子」(74)「青春デンデケデケデケ」(92)など作品は102本を数える。撮影監督協会理事として現在を含め長年に亘って、若手の育成指導に尽力を続けている。富士フィルム技術賞2回、文化庁映画功労賞受賞。

会長特別賞

永年に渡り多大なる貢献と顕著な実績をしるした故人に対し与えられるもの。(2016年没日順)


出目昌伸【監督】

3月13日没 享年83才
1957年東宝入社。黒澤明監督作品「用心棒」(61)「天国と地獄」(63)「赤ひげ」(65)に助監督として就き、68年「年ごろ」で監督デビューする。「俺たちの荒野」(69)で日本映画監督協会新人賞受賞。80年代、東宝退社後は東映に活躍の場を移し、撮影所出身の監督として重厚な人間ドラマを手掛けた。日本映画の黄金時代を体得した監督として、青春映画から大作まで生涯18本の映画を監督した。主な作品「その人は女教師」(70) 「忍ぶ糸 第一部第二部」(73) 「神田川」「沖田総司」(74) 「天国の駅 HEAVEN STATION」(84) 「玄海つれづれ節」(86)「霧の子午線」(96) 「バルトの楽園」(2006)
<受賞歴>
第19回日本アカデミー賞 優秀監督賞「きけ、わだつみの声」(05)

冨田 勲【音楽】

5月5日没 享年84才
慶応大学2年在学中に全日本合唱連盟コンクールで合唱曲『風車』が1位となり作曲家への道を歩む。シンセサイザー音楽作品『月の光』が75年全米ビルボード・クラシカルチャートで第2位となり、日本人で初めてグラミー賞にノミネートされる。映画音楽は58年「地獄の午前二時」から2012年「おかえり、はやぶさ」まで70本に及ぶ。日本アカデミー賞受賞は第3回音楽賞ノミネート 「夜叉ヶ池」から第34回優秀音楽賞 「おとうと」 まで8回を数える。
<受賞歴>
日本アカデミー賞は上記の他に最優秀音楽賞 第26回「たそがれ清兵衛」優秀賞は第17回「学校」第25回「千年の恋 ひかる源氏物語」第28回「隠し剣 鬼の爪」第30回「武士の一分」第32回「母べえ」

松山善三【脚本・監督】

8月27日没 享年91才
1948年松竹大船撮影所助監督部に入所。54年「荒城の月」で脚本家デビュー。監督としては61年「名もなく貧しく美しく」でデビュー。以来、脚本88本、監督作品15本を数える。代表作は脚本として「人間の條件」(59.61)「ひき逃げ」(66)「恍惚の人」(73)「野獣狩り」(73)「ふたりのイーダ」(76)「人間の証明」(77)。監督として「ぶらりぶらぶら物語」(62)「典子は、今」(81)「虹の橋」(93)。など。
<受賞歴>
第16回毎日映画コンクール脚本賞「人間の條件 完結篇」「名もなく貧しく美しく」「二人の息子」。第17回日本アカデミー賞優秀監督賞 「虹の橋」 優秀脚本賞 「虹の橋」「望郷」

協会特別賞

映画製作の現場を支える種々の職能に従事する人たちの栄誉を讃えるもの。


相田敏春(あいだ としはる)【装飾・小道具】

多摩芸術学園映画学科を卒業後、1979年五社英雄監督作品「雲霧仁左衛門」で映画に関わる。以降、今井正、今村昌平、大林宜彦、恩地日出夫、神山征二郎、篠田正浩、新藤兼人など多くの監督に信頼されて装飾小道具を手掛けてきた。 作品に向けて脚本を徹底的に読み抜き、蓄積された豊富な知識で綿密な準備をする一方、現場では映画ならではの柔軟な発想で作品作りに参加し、時代劇・現代劇、大作・低予算作品を選ばず数多くの製作に参加し、日本映画を代表する作品群に貢献して来た。一方、日本映画大学では講師として後進の育成にも熱意を注いでいる。その映画作りに取り組む真摯な姿勢に対して。
<代表作>
「写楽」(95) 「うなぎ」(97) 「長い散歩」(2006) 「さくらん」(07) 「明日への遺言」(08) 「0.5ミリ」(14) 「シェル・コレクター」(16) 「島々清しや」(17)

赤松陽構造(あかまつ ひこぞう)【タイトルデザイン】

1969年より父が起こした㈱日映美術を受け継いで映画タイトルの仕事を始め、以来40年を越えて映画タイトルの作成とデザインを続けその数は優に400を超えている。映画の“顔”であるタイトルの重要性は製作・配給すべての映画人が認める処で、それゆえ赤松氏の作品の本質を見抜いたタイトルデザインの評価は他の追随を許さぬものがある。 映画タイトルの第一人者であると同時に今日では唯一の存在と言える同氏の実績を評価すると同時に後進への道標となるべく懸賞する。
<代表作>
「東京裁判」(83) 「ゆきゆきて、神軍」(87) 「Shall we ダンス?」(96) 「HANA-BI」(98)「うなぎ」(97) 「顔」(2000) 「美しい夏キリシマ」(02) 「ヴィヨンの妻」(09)「横道世之介」(13)「超高速!参勤交代」(14)「64-ロクヨン-」(16)

岡瀬晶彦(おかせ あきひこ)【音響効果】

1990年東洋音響へ入社、2001年からはフリーとなり、音響効果スタッフとして多くの作品のポストプロダクションに参加して来た。ポスプロ作業においては卓越した音に対するセンスを発揮し、映画の世界を実在の音によって表現し、作品の完成度を高める事に大いに貢献している。近年はフォーリー作業(画に合わせてスタジオで効果音を作り出す作業)を実際のロケ場所に出向いてその場所で行うなど、新しい発想と確かな技術力で、音響効果の分野にさらなる新境地を開拓した。その進取の精神と弛まぬ研究心に対して。
<代表作>
「ピンポン」(2002) 「ジョゼと虎と魚たち」(03) 「下妻物語」(04) 「パコと魔法の絵本」(08) 「ゼロの焦点」(09) 「八日目の蟬」(11)「鍵泥棒のメソッド」(12) 「永遠の0」(13) 「ソロモンの偽証 事件・裁判」(15) 「海よりもまだ深く」(16)