木下忠司【音楽】
1916年4月9日生まれ
戦後日本映画の黄金時代を質量ともに支えた。1946年の第一回作品「わが恋せし乙女」以降、兄である木下惠介監督作品は「お嬢さん乾杯」(49)「カルメン故郷に帰る」(51)「二十四の瞳」(54)から最後の「父」(88)まですべての音楽を担当した。480本を超える作品には川島雄三監督「とんかつ大将」(52)、野村芳太郎監督「伊豆の踊子」(54)、小林正樹監督「人間の條件<第1~6部>」(59~61)に始まり山田洋次監督「なつかしい風来坊」(66)へと至る松竹の流れに加え、日本初の長編カラーアニメ「白蛇伝」(58)「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」(66)「日本侠客伝 花と龍」(69)「トラック野郎シリーズ」(75~79)など多彩を極める。
<受賞歴>
第9回毎日映画コンクール音楽賞「女の園」「この広い空のどこかに」(共に54)
京マチ子【俳優】
1924年3月25日生まれ
1949年大映に入社。「羅生門」(50)がヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、米アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)、「地獄門」(53)がカンヌ国際映画祭パルム・ドール、米アカデミー賞名誉賞など、主演作品が多くの海外映画祭でグランプリを受賞した。出演作品は100本に迫る。その他の主な作品に「雨月物語」「あにいもうと」(53)「夜の蝶」(57)「鍵」(59)「他人の顔」(66)「華麗なる一族」(74)「化粧」(84)。
<受賞歴>
「羅生門」(50)「偽れる盛装」(51)で第5回毎日映画コンクール女優演技賞。「甘い汗」(64) 第38回キネマ旬報賞 第19回毎日映画コンクール女優主演賞
鈴木清順【監督】
1923年5月24日生まれ
1948年松竹入社、1954年日活移籍。「港の乾杯 勝利をわが手に」(56)で監督デビュー。「野獣の青春」(63)「東京流れ者」「けんかえれじい」(66)「殺しの烙印」(67)など40本を監督する。67年日活退社後の「ツィゴイネルワイゼン」(80)は製作・興行一体のシネマプラセット方式の公開が大きな話題を呼んだ。その後の主な作品として「陽炎座」(81)「夢二」(91)「オペレッタ狸御殿」(2005)。
<受賞歴>
「ツィゴイネルワイゼン」キネマ旬報ベストテン1位 第23回ブルーリボン賞監督賞 第4回日本アカデミー賞最優秀監督賞 第31回ベルリン国際映画祭審査員特別賞
西岡善信【美術】
1922年7月8日生まれ
1952年「天保水滸伝 利根の火祭」で美術デザイナーを務めて以来、100本を超える大映作品を担当する。1972年「映像京都」を設立し、時代劇の美術監督、プロデューサーの第一人者として40年を越えて活躍する。主な作品に「炎上」(58)「刺青」(66)「股旅」(73)「極道の妻たち」(86)「利休」(89)「大誘拐」(91)「御法度」(99)などがある。
<受賞歴>
「越前竹人形」「雪之丞変化」(63) 第18回毎日映画コンクール美術賞、日本アカデミー賞 最優秀美術賞に第6回「鬼龍院花子の生涯」「怪異談 生きてゐる小平次」(82) 第16回「女殺油地獄」「豪姫」(92)など。優秀賞22回、内最優秀賞10回
橋本 忍【脚本・製作・監督】
1918年4月18日生まれ
1950年黒澤明監督「羅生門」で脚本家デビュー。以来「生きる」(52)「七人の侍」(54)など8本の黒澤作品の脚本を担う。他、代表作は「張込み」(58) 「切腹」(62) 「白い巨塔」(66) 「日本のいちばん長い日」(67) 「日本沈没」(73)など。作品数は74本に及ぶ。73年橋本プロダクションを設立し、脚本のみならず製作者として「砂の器」(74)「八甲田山」(77)を大ヒットに導く。監督作品「私は貝になりたい」(59)「幻の湖」(82)。
<受賞歴>
ブルーリボン脚本賞「羅生門」(50) 他1回、毎日映画コンクール脚本賞 「生きる」(52) 他4回、第1回日本アカデミー賞 脚本賞ノミネート 「八甲田山」「八つ墓村」
八千草薫【俳優】
1931年1月6日生まれ
1947年宝塚歌劇団に入団、娘役として一世を風靡した。57年の退団までに「虞美人」(51)「宮本武蔵」(54) 「蝶々夫人」(55) 「白夫人の妖恋」(56)など大作映画に出演する。退団後のおもな作品「ガス人間第一号」(60) 「男はつらいよ 寅次郎夢枕」(72)。近作「ゆずり葉の頃」(2015)でも主演を務めるなど映画出演作は80本に迫る。
<受賞歴>
「阿修羅のごとく」(03) で第16回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞 第27回日本アカデミー賞優秀助演女優賞 第58回毎日映画コンクール「田中絹代賞」、「ディア・ドクター」(09) 第64回毎日映画コンクール女優助演賞 第34回報知映画賞助演女優賞 第33回山路ふみ子映画功労賞