1959年「愛と希望の街」で監督デビュー以来「夏の妹」(72)まで、「日本の夜と霧」(60)「飼育」(61)「絞死刑」(68)「少年」(69)「儀式」(71)他、毎年新作を発表。作品には時代と日本社会への強いメッセージと批判が込められていた。その後の「愛のコリーダ」(76)「愛の亡霊」(78カンヌ国際映画祭監督賞)「戦場の
メリークリスマス」(83) 「マックス・モン・アムール」(86)「御法度」(99)は、世界の映画界から高い評価を受けた。1980~96年、日本映画監督協会理事長を務め、日本アカデミー賞協会副会長も歴任した。優秀監督賞3度、優秀脚本賞を1度受賞。
高野悦子(たかの えつこ)【岩波ホール総支配人/エキプ・ド・シネマ主宰】 13年2月9日没 享年83歳
1953年東宝文芸部に入社、日本で初めて映画観客の動向調査を行う。68年岩波ホール創立と同時に総支配人に就任。74年には名作上映運動〈エキプ・ド・シネマ〉を川喜多かしこ氏と主宰。80年より東京国立近代美術館フィルムセンター運営委員、初代名誉館長 (97~07年) を務め、東京国際女性映画祭では、85年の第一回からジェネラル・プロデューサー(~12年)として活躍し、独自の足跡で日本映画界の発展に寄与した。
熊谷秀夫(くまがい ひでお)【照明】 13年3月26日没 享年84歳
1948年大映京都撮影所照明部に入所。55年、日活撮影所へ移籍し、81年にフリーとなる。浦山桐郎「非行少女」(63) 鈴木清順「けんかえれじい」(66) 舛田利雄「紅の流れ星」(67)など日活往年の名作に始まり、相米慎二「セーラー服と機関銃」(81) 和田誠「怪盗ルビイ」(88) 坂東玉三郎「夢の女」(93) 山田洋次「学校」(93,96,98)などの名作、話題作を含め生涯の担当作品は160本に及ぶ。日本アカデミー賞最優秀賞「おろしや国酔夢譚」(92)優秀賞も3回受賞。日本映画テレビ照明協会会長も歴任し、照明界の第一人者として業界の発展と新人の育成にも大きく寄与した。
三國連太郎(みくに れんたろう)【俳優】 13年4月14日没 享年90歳
1951年木下恵介監督「善魔」で主演デビュー、以来180本を超える作品に出演した。日本を代表する名優として代表作も「飢餓海峡」「にっぽん泥棒物語」(共に65)「神々の深き欲望」(68)「襤褸の旗」(74)「復讐するは我にあり」(79)「未完の対局」(82)「マルサの女2」(88)「利休」(89)「息子」(91)「大病人」(93)と枚挙に暇がない。87年には製作・脚本・監督「親鸞 白い道」でカンヌ国際映画祭審査員賞受賞。88年に始まった「釣りバカ日誌」は22作の人気シリーズとなった。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞3度、優秀主演男優賞2度、優秀助演男優賞5回。同協会副会長も歴任した。
夏八木 勲(なつやぎ いさお)【俳優】13年5月11日没 享年73歳
1966年加藤泰「骨までしゃぶる」でデビュー。アクション俳優として売り出した後、骨太で男性的な演技で主役から敵役まで幅広く演じ、その出演映画は300本を超える。代表作「牙狼之介」(66,67)「野生の証明」(78)「白昼の死角」「戦国自衛隊」(共に79)。2012年公開作品3本、2013年5本と俳優としての再度の絶頂期を迎えた中、惜しまれつつ逝去した。最後の公開作品は「永遠の0」。日本アカデミー賞は、旧芸名・夏木勲時代に「冬の華」(78)「黄金の犬」(79)などで優秀助演男優賞2度受賞。