1951年「愛妻物語」で監督デビューを果たして以来、2011年99才の「一枚のハガキ」まで監督作品は生涯45本に及ぶ。日本のインデイペンデント映画の先駆者として近代映画協会を設立し、社会性とテーマ性溢れる作品を製作し牽引し続けた功績は比類ないものがあった。2002年文化勲章受章。
1946年大映京都撮影所録音部に入所。1954年には日活撮影所へ移籍し、以来2011年公開の「山本五十六」まで日本映画界を牽引する録音技師として56年間で手掛けた作品は200本を超える。日本アカデミー賞最優秀賞を4回、優秀賞は7回受賞。日本録音界の第一人者として業界の発展と新人の育成にも大きく寄与した。
従兄の嵐寛寿郎の元でデビューし、戦前だけで60本近い映画に出演した。戦後はテレビにも活動の場を広げるが、1961年芸術座『放浪記』で舞台主演、以来2009年まで2017回という前人未踏の上演記録を打ち立てた。2005年文化勲章、2009年国民栄誉賞受賞。生涯の映画出演も100本に及ぶ。
1930年に日活に入社、36年溝口健二監督作品「浪華悲歌」「祇園の姉妹」で女優の地位を確立、戦後も「現代人」(52)「たけくらべ」(55)「母子像」(56)「蜘蛛巣城」(57)「どん底」(57)などで映画賞を受賞、日本映画界を代表する女優として存在感を示す。後年は舞台へ活躍の場を移し、2000年に女優として初めての文化勲章を受章。
1963年に「甘い罠」で監督デビュー、以降一貫したスタイルで110本もの映画を監督した。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(08)ではベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞、「キヤタピラー」(10)では、寺島しのぶにベルリン国際映画祭主演女優賞をもたらした。独自の創作姿勢が日本に加え海外でも大きく評価された。
映画の仕上げ作業の最終工程として、細やかな神経と強い忍耐力を必要とするネガフィルムの編集を永年に亘って担当するとともに、チームとして後進の編集者の育成に尽力してきた。映画製作の根本部分に携わることで日本映画界に長年に亘り貢献して来た二つのグループの業績を讃える。
1961年に東映京都撮影所に入所。73年に殺陣師として仕事を開始し伝統的立ち回りは元より、独自のアイデアとケレン味溢れるアクションで常識を打ち破る殺陣を創出し続けている。2010年の「座頭市THE LAST」では阪本監督の希望に応え、時代劇としての作品全体を支えた。その映画製作への高い貢献度に対して。
1947年大映京都撮影所装置部に入所、名作「羅生門」(50)の大道具製作に関わる。現在は松竹撮影所にあって業界最長老の棟梁として監督・美術スタッフは元より、管理・製作部門からも篤く大きな信頼を寄せられている。更新の指導育成にも大きく貢献して来た、その65年に及ぶ現役活動の業績に対して。
1985年第一衣裳入社。その後フリーとして大作から独立系低予算映画まで200本に及ぶ映画の衣裳・衣裳デザイン・製作を手掛ける。1988年㈱ワード・ローブ設立。監督の演出意図と俳優の心情を衣裳によって結びつける仕事ぶりは製作現場の原動力となっている。衣裳を通じて映画製作を支えてきた功績に対して。
1954年松竹入社。1961年「二階の他人」で監督デビュー以来、松竹映画の伝統を受け継ぎ日本の庶民を描き続けている。その代表である車寅次郎「男はつらいよ」(69-95)シリーズは48作を数え、“盆暮れ”には全国各地で観客が押し寄せ、国民映画と呼ばれた(46作品を監督)。代表作「幸福の黄色いハンカチ」(77)は第一回日本アカデミー賞最優秀作品賞を含む六部門の最優秀賞に輝く。「たそがれ清兵衛」(02)でも庶民の視点で時代劇を描き、後の時代劇ブームの先鞭を付けた。81本目となる2013年公開「東京家族」でも、小津安二郎監督の名作「東京物語」をモチーフに現代日本の家族を描き続ける。本年(2012)文化勲章受章。
1998年の第一「踊る大捜査線THE MOVIE」から数えて4作品すべてが大ヒットし、興行収入の合計は400億円を突破した。
観客動員が伸び悩む1990年代日本映画界にあって、『テレビで親しんだキャラクターと設定を映画館で楽しむ』と言う新しい映画の観方を観客に提示し、<テレビドラマの映画化>をジャンルとして定着させた。現在の日本映画興隆の先駆けを果たしたその功績と15年に及ぶスタッフ・キャスト一丸となった製作体勢に対して。
1970年代後半まで日活撮影所所長を務めた黒澤満氏を中心に1980年に設立。「あぶない刑事」(87)シリーズを始めとするアクション映画から青春映画・文芸作品まで幅広いジャンルを手掛け、今日まで102本の劇場用映画を製作して来た。
松田優作「探偵物語」(83)、仲村トオル「ビー・バップ・ハイスクール」(85)、長淵剛「オルゴール」(89)、窪塚洋介「GO」(01)などのスターを送り出すと同時に、多くのプロデューサー、スタッフを輩出、日本映画界へ多大な貢献を果たしてきた。
製作プロダクションとして32年を迎えた本年、大作「北のカナリアたち」を製作、極寒の利尻・礼文で長期間ロケを敢行して作品を成功に導いた。製作プロダクションとしての永年の貢献に加え、新たなる飛躍を遂げた本年、岡田茂賞を贈る。